宇宙の音


「椎名、ごはんよ〜」

母の声が家中に響く

なんだか最近食欲がない

お腹がすいた気がしない

「ねぇ、ごはんだってば」

自室の戸がカチャリと空く

「…いらない」

作ってもらってるのに悪いとは思う

「そう…今日は椎名が好きなカレーだよ」

伺うような口ぶりだった

「…わかった」

食べればいいんでしょ、食べれば

何故か最近小さなことでいらつくな、とは思ってた

変にムキになって用意されたカレーにカラトリーを伸ばした

「…いただきます」

熱々のご飯にトロトロのカレー

昔から好きなこの味だけど今だけはスプーンが進まない

数口くちに放り込んだところでスプーンが止まった

「もう食べなくていいよ」

声に顔を上げると呆れたような残念がるような

酷く顔を顰めた母の顔があった

申し訳ないとは思いながらも食器を食卓に残して席を立った

___この空気感は好きじゃない

なんだかとても悪いことをして咎められているような気分だ

部屋に戻ってベッドに横になる

たった数口しか食べてないくせに胃が重い

___僕だって食べたくなかったわけじゃないのに

昔から好きな母の十八番の料理。

深く息を吐くと、僕のため息が聞こえたような気がした

今日は生憎平日のど真ん中

明日だって学校がある

行きたくない、けど、

今年受験生の僕は出席日数とやらが必要らしく行かないという選択肢はなかった

なにが理由かなんていくら考えても分からない、

誰でもよかったんだと思う

でも、それが何故僕だったのだろうと恨むことくらいは許してほしい

僕は僕が虐められてることで誰かが虐められなくて済む、だなんて思えるほど大人ではなくて

虐めてくる奴らにやめろと言えるわけでも、ましてや殴り返すことなんて絶対できない

ホコリや学ランについた足跡で母が虐められてる事に気づいてない訳がなかった

それでもなにも言ってこないというのは、母なりの選択肢なんだろう。

僕が笑わなくなったのが先か、母が笑わなくなったのが先か。

そう言えば久しく母の笑顔を見ていないような気がした

高校は遠くに行こう。

僕が虐められてた事を知ってる奴が居ないほど遠いところに。

そしたら母に迷惑もかからない

いじめられっ子の親だなんて僕なら嫌だ

いじめがかっこ悪いとかいう前に、いじめられてること自体が恥ずかしいことだった

昔、いじめられて泣きながら帰った時なんか母は慌てて出迎えてくれて「なにがあったの」なんて言葉では言わなかったけどずっとそばに居てくれた

母が虐められてた過去があるのかしらないし、なくても全然良いんだけれど、「男なんだから泣くな」とも「やり返せ」とも言わない母が温かかった

僕が虐められなかったら、そんな母の1面も知らないまま生きてくことになったかもしれない

いつも何も言わず想いを心に閉じ込めてばかりだった

偽ってでも"楽しい"と言えたら良かった

僕が何も言わないからか、いつしか母は「今日は学校どうだった?」と聞かなくなって、いつのまにか会話も減った

もし、嘘をついたら、母は叱ってくれたんだろうか。それとも話を合わせて聞いてくれたんだろうか

気が滅入ると考えがぐるぐると頭を占領する

何も無い平和な日々に亀裂が入ったのはいつだったか

その亀裂を埋めるかのように思考が止まらない

夢の中で母から遠ざかっていくように歩き出した

目も瞑って耳も塞いで、もう何も言わないで、何も見たくない

そんな想いからの行動だった

嫌な記憶なんて全部頭から消してくれれば良いのになぁ。

そんな都合のいい事なんてなるわけが無いのは分かっているけど。


もしも、僕が正直者だったら、これが"最期"だって信じてくれたかなぁ

そんな事、望んでないなんて分かってる

ぜんぶ分かってる"つもり"だった

何度だって虐められていることも、もうこんな人生を終わらせてしまいたいことも言おうとは思った

でも言葉が続かなかった。

そんな事を聞いた母が喜ぶはずなくて、笑顔にできない事をわざわざ言う必要なんてないと思ったし、言ったあとの僕を、母を想像できなかった

21時を回った頃、リビングの電気が消えたことを確認して家を出た

母のようになれたら、強く生きていけたなら

どんなによかっただろう

前から目星を付けていた穴場に足を向ける

線路に飛び込む予定、いざやろうとしたら足が震えた

ざまーみろ、とでも言ってるかのように膝が笑う

21:37分。小田急線に飛び込んだ



もしも僕が生きてたなら、いつか渡そうと思っていた歌を聞かせてあげられただろうか

作ったはいいものの恥ずかしさが相俟って最後まで渡せなかったなぁ

いつか、僕の部屋を掃除したタイミングにでも出てきたら聞いてくれるといいなぁ

あの頃の僕の想いを。

霊体になった僕は、やっぱり最期のご飯を食べられなかった事が心残りになっていたみたいで、今となっては遺品だらけの僕の部屋にいた

お通夜や葬式はあっという間に終わって、みんな最初から僕がいなかったみたいに変わらない生活を送っていた

ただ1つ違うのは毎日母が僕の部屋を綺麗にしてくれていたこと。

僕が死んだ後も母は強くあり続けた

僕と母はもう生きてる世界が違う。

母の声が僕には届かないと同じように、僕の声ももう母には届かない

この気持ちの名前はなんだっけ?

でも、前を向いて過ごしてる母の事はもう見ない方がいいと思った

僕は歩く。遠いところを目指して

もう声も聞けなければ顔を見ることも無い

さようなら。



貴女のように生きられたらよかった。お母さん



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