ゲーム実況とか好きだから!
はじめに
ノートやってみたかったんでやります。
私はたまにゲーム作ったりしますが、広く公開することはあまりないです。実況動画は割と見ますが投稿はしません。そんな立場でゲーム実況について考えたことを論点整理として書いてみます。
要旨
長くなったので言いたいことをまず書きます。
・ゲーム実況はゲームの受容法の1つなのではないか
・一度実況という形で受容してしまったゲームを、もう一度"プレイ"という形で再受容したくなるか? というのは、そのゲームのリトライ性・ランダム性・世界の広さに依存しそう
・ゲームが実況という形で受容される事で生じる不利益には、経済的損失と、作者の自己実現に関する損失がありそう
・経済的損失は何らかの"仕組み"で補えるのではないか
・作者の自己実現に関しては、作品の扱われ方と作者の想いの噛み合いに依るので、損失のリスクを0にすることはできないだろう
・ゲームは実況されて当たり前の時代がくるかもしれない
ゲーム実況は楽しい
ゲーム実況って面白いなーと思うわけです。勿論単純な面白さもあるんですが、劇中劇のようなメタな面白さがあると思うんですよね。ゲーム世界の主人公というキャラクターがいて、それを操作しているのも実況者という一つのキャラクター(演者)なんですよ。特にVtuberだとそれが顕著。実況動画という一種のフィクションのなかで、ゲームというフィクションが展開しているわけです。視聴者はそれを見ているので、ゲーム自体という内側の箱庭を楽しみつつ、プレイ動画という一枚外側の箱を楽しむことができる。ゲーム自体も面白いんだけど、それをプレイしている実況者のリアクションとか、話が面白かったりする。チョコでコーティングされたアーモンドのように、一粒で二度美味しいですね(?)
面白味もあるんですが、ゲーム世界への没入感という意味では下がる気がします。どうしても実況という外枠があるので、自分でプレイするときより俯瞰的というか、他人の体験になってしまう部分はあります。
一方で、そんなメタとか俯瞰とか考えず、友達と隣で一緒に1つのゲームをプレイしていたあの日に似た気分で動画を見ることもあります。生配信でバリバリコメントしながら見てると、特にそう感じることがありますね。
いずれにせよ、自分がコントローラーを持ってボタンを押して入力しているわけではないので、基本的には受動なんですよね。見えるもの、聞こえるものが全てで、触感(操作感)は失われています。ですが、それでも確かにそのゲーム世界には触れていると思うのです。実況動画でプレイされたゲームに好きなキャラクターもいれば、心に残ったセリフもある。気に入ったグラフィックや音楽がある。思わず唸った謎やギミックもあります。ちょっと過激派かもしれませんが、ゲーム実況を見るということは、ゲームに対する触れ方が違っても、ゲームを知って、摂取して受容するという点は同じなのではないかと思っています。
勿論先ほど述べたように、自らプレイしないと操作感はわからないので、特にアクションゲームはやらないとわからない面が多くあるでしょうし、操作感の話を抜きにしても"苦労して得た達成感"とか、"感情移入した上での究極の選択"みたいな体験は実際にプレイした方がより濃密なものになると思います。
一方で、"アクションゲームが下手すぎて自分ではできないけど、実況動画でプレイを見るのは好き"とか、"ホラーゲームは1人だと怖くてできないけど、実況なら楽しめる"というような、実況だと楽しめる幅が広がるという面もありますね。
実況を見て、プレイしたくなるゲーム
ゲーム実況を見た後にプレイしたくなるゲームってどんなのだろう……と考えた時に、真っ先に思いついたのがe-sports的ゲームでした。といっても、別にe-sportsとして盛り上がってるゲームである必要はなくて、スポーツのようにプレイヤー同士で対戦するゲームとか、クリアするとスコアが出てランキングに載せられるとか、そういう類です。これらの競技性があると、リトライ性が自然と上がるんですよね。そうなると、プレイ実況がある種の初プレイになったとしても、次は自分でプレイしてみよう/してみたいという展開が生まれやすいと思います。(余談ですが私はSplatoon2を実況見てから買って無限に遊んでます。)
競技的なゲームの他にも、ローグライクやローグライトと呼ばれるようなランダム性の高いゲーム、あるいはその世界で暮らせるような、できることの幅が広いゲームは、一度のプレイで全ての要素を知ることはできないし、ゲームの攻略方法が一つに定まらないので、あの実況とは違うものが見たい/違う方法でプレイしてみたいという欲求が生まれやすいと思います。(余談ですが私はSlay the spireを実況見てから買って無限に遊んでます。)
逆に言えば、リトライ性が薄く、発生するイベントが決まっていて1本道のようなゲームは、実況を見てから再プレイする人が少なくなると思います。
ゲームが実況として受容された場合の製作者の不利益-経済的損失-
ゲーム実況で満足されると製作者が不利益を被ることがあると思います。私は大きく2種類の不利益があると思っています。
1つが経済的損失です。販売中のゲームを実況で見たので満足して買わなくなる人がいると、製作者に入る金銭的利益が失われます。課金型の収益スキームや、広告型の収益スキームを取っているゲームでも、実況で満足してプレイしない人が出ると経済的損失になります。フリーゲームだとしても、本来DL数が増えるはずだった分が増えなくなる、高評価ボタンのようなものが押されなくて数値が増えなくなるというような、数値が増えなくなるという広い意味で(ここでは)経済的損失と捉えたいと思います。
(この経済的損失に対して、むしろ実況が宣伝の役割をするので経済的利益に繋がるという面もあるのですが、ゲームの性質や視聴者(プレイヤー)の嗜好でどちらに傾くのかは変わりそうですね。)
この経済的損失って、仕組みやルールでどうにかなる部分もあるんじゃないかと思うんですよね。動画の再生数に応じて、投稿者だけでなく作者にも収益が入るような仕組み。できてもいいのかなと思います。フリーゲームの投稿サイト自体にDL数の他に関連動画数や再生数が登録・表示できる仕組みとか。表示される数値だけの問題であれば、別に表示されないとしても、作者が勝手に動画再生数を見て満足しても良いのですが(余談ですが、私はこれを書きながら私作ゲームの実況動画の再生数を確認したところ、思ったより多くてニコニコしました)。
ゲームが実況として受容された場合の製作者の不利益-自己実現の損失-
割と趣味的に創作活動として作られたゲーム(フリーゲームとか)に強いものだと思うんですが、作者がゲームという作品を通してやりたかったことが妨害されてしまう(と作者が感じてしまう)ことは損失ですね。実況動画という形になり、作者の許容できない形でゲームが消費されてしまったとか、作者が寡占するべきゲームの評価を不当に実況動画の投稿主に掠め取られたと感じるとか。
当たり前ですが、元の作品をリスペクトした上で実況動画は作成されるべき、されていてほしいと私は視聴者として祈っています。しかしそのリスペクトの上でも、作者の自己実現って精神的な活動なので、それが毀損されるかどうかというのは作者の感じ方に依存するところが大きいですよね。極論、実況の対象になるだけでも嫌な方から、どう実況されても構わないという方までそれぞれなので、自己実現の損失を防ぐには、ゲーム作者と実況投稿者のコミュニケーションが肝要と思います。勿論直接の会話で実況者がゲーム作者に実況可否や気を付けてほしい点を尋ねるという方法もあるし、事前にゲーム作者が実況しないでほしいとか、実況時に守ってほしいルールを提示するという方法もありますね。
まあ製作者のことリスペクトしよう、許可を取ろうなんてことは、ゲーム実況に限った話ではなく、オリジナルのコンテンツを利用した二次的コンテンツ全てに通ずる当たり前の話だと思います。
みんな大好きゲーム実況
気になって調べてみたんですが、年々小学生のインターネット利用率は増加していて、何をしているかというと、動画を視聴しているらしいです。そして、最も小学生男子に一番人気な動画ジャンルはゲーム実況なのだそう。ソースは以下。
もはや、ゲーム実況はニコニコ動画でひっそりと見られているようなものではなく、現代の小学生にしてみればメインコンテンツなんですね(調べてないですが小学生以外もみんなゲーム実況好きです。ソースは俺)。全てのゲームは実況されて当たり前の時代が来るのかもしれません。こわ。
おわりに
冒頭で少し述べましたが、ゲーム実況を見るということは、ゲームを受容する手段の一つであって、今や小さなメディアミックスとも捉えられるのではないかと思います。今日本で最もホットな作品と言っても過言ではない"○○の○"がここまで大ヒットしたトリガーとなったのは、漫画を原作としたアニメでした。そんな風に、ゲーム実況がゲームのヒットの火付け役になるケースは(今もそれなりにあると思いますが)増えていきそうな気がしています。
私は原作厨なところがあるので、作者が想定した楽しみ方は"プレイ"という受容方法が一番そのゲームの本質に近づける可能性の高いものだとは思います。
ただ実況の方がとっつきやすかったり、裾野が広がったりする面は否定できないと思いますし、ゲーム実況というジャンルが盛り上がっていくといいですね!
何か思いついたらまた書きます(終わり)。
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