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青春の謳歌 こんなんだったっけ(ぼくとくぴぽとなだれぴの話③)

※みんなへ
このnoteはめちゃくちゃ要約すると「くぴぽのなだれちゃんが好き」ということしか書いてません。マジで。


普段の僕を知っている人ならまぁ分かると思うのだが、僕はどちらかというとツイッターで気軽にアイドルさんに絡んでしまう方である。
そんな日常の中でくぴぽのメンバーのツイッターを見ていて、ある写真が目に留まった。それがこのツイート。

「いや、ツイート紹介されても…」と思うかもしれないが、俺もそう思う。
衣装での自撮りなんてアイドルとしてごく当たり前のツイートなんだけど、なんだか僕には突然刺さったのである。

その時はなだれぴが喋っているところも知らないし、歌声も認識していないし、どういうキャラクターなのかも知らなくて、そもそもライブも動画でしか観たことないという状態。でも何故かこの写真の雰囲気とツイートを「なんかいいな」と思った。

何度か当たり障りのないリプをした。
返事をもらった。
その度に「なんかいいな」と思っていた。

2020年9月、僕は初めてくぴぽのライブを観に行った。
感染症対策で入場制限やフロアの制限がかかる中、くぴぽのライブもYouTubeで観たような、フロアに下りたりお客さんを巻き込んだりというパフォーマンスはできずハチャメチャさはなかったが、その分ダンスパフォーマンスと歌が浮き彫りになり、「あれ、みんなめちゃめちゃ上手いじゃん!」と驚いた。(まきちゃんは半分ぐらいデカいボールの中に入っていたが話がぶれるので割愛)

そのとき生で聴いたなだれぴの歌声は、音源で聴いていた声とは別人かというほどに力強かった。
少しハスキーで、確かな音程と太さがあって、爆音の中でも抜けてくる声だった。

僕はアイドルはやっぱり”歌“だと思っていて、それは上手い下手だけじゃなくて、元々の声質とか、曲に対する気持ちの乗せ方とか(これも技術ではなくて本当に気持ちの話)、いろんな要素が合わさって「好きだな」となることが多い。

まぁ理屈はどうでもいいんだけど。
この子の歌が好きだ。
そう思った。

特典会で話したなだれぴは、思っていた通りの子だった。
明るくて、元気で、着飾らず、楽しくて、優しくて、笑っていた。
大体僕はいつもヘラヘラしているので、そういう風に接してくれるのがとても心地よかった。

もっと歌が聴きたい。話したい。
月に1.2度の東京遠征の時にできるだけライブに通った。

ひいき目もあるかもしれないが、ライブを重ねるごとになだれぴの歌は力強く、表現力を増していっていたように思う。
月並みな表現だけれど見る度に進化していると思った。
それは現在(2021年5月)発表されている3枚のシングルを聴けば誰にでも分かる形で確認できる。聴けばそれと分かる歌声で楽曲の重要なパートを担い、牽引しているのだ。
その劇的な成長は、まるで魂を削っているかのような、鬼気迫るものがあった。

そんな圧倒的な歌の力を持ち、パフォーマンスをしているなだれぴも、接していく内に、心に翳りや弱さも持っているように思えた。
特典会のときはいつも笑顔で冗談を言いながら迎えてくれたけど、時には自分の弱さやコンプレックス、不安を封じ込めるために笑っていたように思う。

そんな面にも僕は惹かれた。

自分を好いてくれる人たちの前で理想の自分でありたいと思うことは誰にでもあると思うけど、沢山の人の前でそれを何年もやり続けるなんてことは、普通に生きてたらまずないし、できないだろう。
なだれぴは人を笑顔にすること、歌い続けること、その理想を追いかけて笑顔でステージに立ち、歌い、こちらに明るく語りかけてくれた。弱さを知っているからこそ真の強さを持つことができる、それを体現していた。本当にヒーローのような存在だと僕は思った。

なだれぴは2021年7月にくぴぽを卒業する。
僕がはじめてなだれぴのステージを観てからまだ8ヶ月しか経っていない。
これまた月並みな表現なんだけど、想いを育てるのは時間ではないというのをひしひしと感じている。
それに、終わりじゃない。
「自分には歌しかない」、なだれぴはいつもそう言う。
いや、それだけじゃないよ、と思うけど(まずめちゃくちゃかわいいし優しいし(以下省略))、なだれぴに「歌いたい」という気持ちがあるように、僕にも「なだれぴの歌が聴きたい」という気持ちがある。
その気持ちがある限り、この先もまた続いていくのだ、僕たちは。


君は僕の人生の中で他の何にも代え難い、特別な存在です。
好きです。これまでもこれからも。


(色んな意味で)つづく。

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