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自分を信じて。

高校時代に知り合って上京とほぼ同時に付き合いだした彼氏はなぁなぁな関係になっていて。
付き合いも長いし、一緒にいるのが自然だし、何となく結婚するのかなー、なんて、おぼろげながら意識しつつ、彼は彼で私との結婚を視野に入れながらも友達と立ち上げた仕事が忙しく、軌道にのるまでは…と結婚に難色を示していた。

そんな折、当時働いていた職場にお客さんとして来た1人の男性。
聞けば私と同い年で、私が行きたかった大学に社会人学生として通っていた事が判明。他にも類似点が数多くあり、距離が縮まるのに時間はかからなかった。
付き合う中で思いがけず身ごもった命。私に堕ろす選択はなかった。男性にも打ち明けた。突然の事に逡巡する彼に、
「あなたがこの先1日でも多く笑顔で過ごせるような選択をして欲しい」
とだけ告げた。
正直、経済的な不安はあったものの、私自身がシングルマザーの家庭で育ったし、父親がいない事の後ろめたさや罪悪感のようなためらいみたいなものは一切なかった。
長く母の支配下にあった「私」という存在は、常に彼女にとっての都合のいい道具でしかなく、常に母の望む言動を強いられて育ち、私自身それが当たり前だと思っていた。
母は未婚のまま母になるかも知れない私を執拗に責め立てた。
それでも、それまで度々希死念慮に苛まれ、毎日ただただ生を無為に消耗するだけだった私が、「私にしかこの子は守れない」と自らの意思で覚悟を決めたと同時に、初めてと言っても過言ではない程の、彼女に対する反旗を翻した瞬間だった。

その後紆余曲折あり、結婚したのが当時のお客さんとして来た男性であり、今の旦那だ。
身ごもった命は10歳の小生意気な息子に成長し、その下におてんばな娘もいる。
叱らない日がないくらい、毎日賑やかにバタバタと過ぎていく。そんな何気ない日常がとてもかけがえなく尊く愛おしい。

10年前の私は自己肯定感も皆無で、自分の生死すら興味がなかった。
今もなお自己肯定感は皆無なままだが、少なくとも希死念慮に苛まれるヒマは少なくなったし、何ならこの歳になって学び直しを始めて、新たな資格を取るべく仕事に家事育児に加えて勉強と慌ただしい日々だ。
10年前には考えられないくらい、過去は完全に割り切り、今を生き、未来を見ている。

10年前の私に声を掛けるなら…
「自分の選択を信じて大丈夫。親の言葉なんて気にしないで、他の誰の為でもない、自分が主役の自分の人生を歩みなさい。」
と伝えるだろう。
あなたの未来はささやかながらも穏やかで確かなシアワセに満ちているよ、と。

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