自由な音楽とは
おはよう。こんにちは。こんばんは。crossです。
DIALOGUE+公式に緒方さんのコラム( # ダイアローグぅコラム)の第2回が投稿されたのでそれを受けて僕も思ったことをつらつらと。
見切り発車で書き始めたせいで、なんだかあらぬ方向に話が進んで予想外のところに着地した上に当たり前では?感あるので、「ふーん」くらいで読んでくれると助かります。
内容を要約すると「音楽って自由なものだよね。自由って武器だよね。」って内容だと受け取った。いや、そんな軽く表していいものでもないけど本当に要約するとね。
さて。
そもそもですが「自由」ってなにか。
思春期特有の答えのないものを考え続ける期に「自由」とか「生きる意味」とかそんなことばっか考えてたの懐かしい、痛い。
大学のレポートとか論文で散々Wikipedia引用すんなって言われたけど、めんどいしみんな馴染みあるもので。
日本語の「自由」とは元々「身勝手」「わがまま」というような意味で使われていたが、福沢諭吉が「liberty」を「自由」と訳したことで新たな意味を持った言葉である。(多分あってる知識。諸説あり。)
「liberty」も「 freedom」も「自由」と訳されるが、この2つには「身勝手」や「わがまま」という意味は含まれない。詳しく書いていくと脱線しすぎるので割愛するが、「liberty」も「 freedom」の意味を含むことで「自由」という言葉には「自分の責任範囲内で何をしてもよい」というものになっていると考えている。
例えば自由だから窃盗が許されるかというとそういうわけではない。法律というルールの中の自分自身で責任を取れる範囲で生きていくなんて言うのはごく当たり前のことで。
音楽にも最低限守るルールは存在する。
リズム、メロディ、ハーモニーがあって初めて音は音楽になる。
練度とかじゃなく、ギター、ベース、ドラムが別の曲演奏してたらそれは音楽じゃないよねとかそんなレベルで言ってる。
それさえ守ってれば正直音楽何やってもいいよねって。
ユニゾンのライブを見ていると曲以外で発する言葉や暗転時間、アンコールで登場するまでの時間までも決められているように感じる。本人たちはもちろん楽しそうに演奏しているが、ガチガチに決めたライブをすることは自由な音楽なのか。
僕はこれも自由な音楽だと思う。
彼らには明確にライブの理想像があって、それを実現させるためにこういうライブをしている(と思っている)。それは誰かに言われたからやっているわけではなく自ら選び取ったものという意味で自由だと思う。
THE KEBABSのライブは残念ながら見たことないが話を聞きくにやりたい放題なんだと思う。多くを決めずにその場で生まれる音楽を大切にしているように感じる。(見たことないのに知ったようなこと言って違ってたらごめん)
ぱっと見はケバブスの方が勝手気ままという意味で「自由」に思えるが、ユニゾンとケバブスどちらも同等に「自由」だと思う。どちらも自ら選び取ったものという意味で。
誰かに押し付けられたものでなく、自分で考えた表現ができていれば「自由」な音楽だと思う。
恐らくDIALOGUE+としては田淵さんやかなみ先生に言われたままのことをやるという段階はとうに越えていると感じているので「自由」な音楽になっていると思う。
選び取れる範囲を広げていくことが音楽の幅を広げてくいく上では大切なことだなと。曲に対して複数の解釈を選び取れるようになれば、繋がると思ってなかった曲が繋がったり聞いているログっ子も曲の新しい表情を見られるようになる。
書きながら「これって音楽だけにじゃなくて、勉強でも仕事でもなんでもそうだな」って気持ちになている。凝り固まった思考は何も新しいものを生まない。
何回聞いても飽きが来ない、見ている間は「音楽最高!!」しか考えられなくなる「夏休みのような」ライブをDIALOGUE+ならしてくれると確信している。
基礎的な技術を高めながら、音楽の幅を広げたDIALOGUE+が次にどんな景色を見せてくれるのか楽しみでしかない。
あと。見る側ももっと自由でいいと思うんだ。
みんなやってるからやるなんて脳死な考えやめて、自分自身が本当に楽しめる楽しみ方しようや。他の人と違う動きしてても何も恥ずかしくない。みんな違ってみんないい。はい。
次に緒方さんが更新したらまたなんか知ら書くかも。読みたい人いるか知らんけど。自己満で。
では。
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