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腹痛と健康。

僕はお腹が弱い。

今日もお腹を下した。原因は冷房のかけすぎか。

辛いものや冷たいもの、お酒の過度な摂取や環境の変化が刺激となりお腹の調子を狂わす。


でも数か月前に友達と中国へ旅行に行ったときは、かなりの環境の変化にもかかわらずすこぶる健康体だった。

むしろ友達が火鍋をくってお腹を下していたな。

僕も食べたのに。

自分のお腹がよくわからない。

辛いものを食うとだいたいお腹を壊す。
だから割と辛めな食べ物はいままで避けてきた。
中国の時はいったいなんだったんだろうか。



お腹を下しやすい僕だが、お腹を壊すたび普段の健康な自分の体に感謝することがある。

お腹を下していない時は、「新しいゲームが欲しい」、「金がほしい」などといろいろな欲望が頭の中で渦巻く。

しかし、驚くべきことに腹を壊し、痛みに悶えている時、僕は今まで抱えていた一切合切の欲を潔く捨てることができる。


「健康体でいられるだけで僕は幸せです。
これからは一切の欲望を完全に断ち切ります。
後生ですから。この腹痛を止めてください。」


と、よく神に懇願してしまう。

神を信じているわけではないが。

でも幽霊は信じてる。


藁にも縋る思いなのだ。

それほどまでに腹痛は強烈な痛みを伴う。



排泄という生理的欲求が正常に機能しないと体は大きな影響を受ける。

腹痛はマズローの欲求階層を身をもって理解する瞬間である。

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生理的欲求なくして他の欲求は成り立たない。



通学中にお腹を壊すことが最も悲惨だ。

もちろん漏らしたことはないが、耐久戦がかなりきつい。

あと電車を途中で降りてトイレに駆け込まなければいけないので予定していた時刻に大学に行けないというのも地味につらい。

早朝。駅のトイレは難所だ。

高確率で先客がいる。

この待ち時間がこの世で一番辛いのかもしれない。

理性を失いかける。


とにかく、お腹を壊すと普段自分がどれだけ幸せだったかということを実感する。

腹痛が収まるとしみじみ感じる。

健康体がいかに幸せかということを。

でも人はある一つの欲求が叶うとさらに高次の欲求を実現しようとする。

そういった貪欲さが人間には備わっている。

そんな中この腹痛とやらは憎たらしいが人を初心に戻してくれるようだ。


お腹が弱いというネガティブな体質をポジティブに捉えるなら、
人より初心に戻る機会が多い、といえるか。


「健康に生きることは実はかなり幸せなことなんだぞ」
と、誰かに諭されているような気分だ。

当たり前に享受できていることの価値を低く見積もってはいけないな。


ふと当たり前だと思ってはいけないの英訳が頭に浮かんだ。

Do not take it for granted.

よく大学受験の参考書とかにあったっけな。


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