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SNSをやるやつは自慢したいだけ

自慢という言葉なくしてSNSを語ることはできない。

Twitterもインスタもnoteも結局は自慢したいだけ。

もちろん100%自慢のために投稿するわけではないと思う。

共感してもらいたい、誰かに教えたい、共有したいという思いも絶対あるだろう。

しかし、投稿する時は必ず自慢したいという思いや欲求が根底にあるしその割合はけっこう大きい。


〇自慢したい

Twitterなら有益な情報や面白い投稿を見つけた自分のセンスの良さ、情報への感度の高さを自慢したがる。

そのためにツイート、リツイート、いいねをするみたいなところがあるんじゃないか。

いいねやリツイートをすればそのすごいツイートが自分のフォロワーのTLに流れてあたかも自分が生み出したような錯覚に陥るのは快感だ。

さらに周りの人にとって有益な情報をいち早く見つけたという事実は案外鼻が高い。

インスタであれば充実したリアルでの生活を写真や動画で自慢する。

恐らくその場面はその人の人生のほんの一部分に過ぎない。

だが人は功名にその一部分を大量生産し、あたかも自分の人生が全てバラ色かのように演出する。

切り取る技法はさながらメディアだ。

友人・恋人とどこどこへ行って来た、自分はこんなにも面白い友人に囲まれた人生を歩んでいる。

などと押しつけがましい感じにならないようになるべくクールに周りの人間へとアピールする。

ド直球な自慢は非難の対象だからだ。

noteはどうだろうか?

これも自慢したさが根底にある。

自分の文章力、画期的な考え方、そういうものを自分は持っているんだぞということを誇示したがっているのだ。

こういう記事を書いている僕だって冷静に客観的にSNSを分析し、もっともらしいことを言って自分の考え・文章の良さを公に自慢しようとしている。

自慢できるものでもないが。

どんなに些細な投稿であってもその人なりの自慢したさがそこには存在している。

そんなことを書いていたらこの記事が随分ちんけで胡散臭いものだと思えてきたところだ。



〇自慢は悪か

自慢したいという感情は外部の人間からすれば悪だ。

この感情が原因で人に嫌われたりもする。

なぜなら自慢は他者の嫉妬心を煽るからだ。

だがこの衝動を人は抑えることができない。

自慢という行為は自己実現欲求や承認欲求と密接にかかわっている。

自慢し、それが他者に受け入れられればその人の承認欲求は満たされ、称賛されれば自己実現欲求が満たされる。

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つまりはマズローの欲求階層の中でも高い次元の欲求を満たしていることになる。

これらの欲求を抑えることはできるが人が生きている限り消すことはできない。

さらにこの高次の欲求を満たす自慢という行為は人に大きな快感をもたらす。

快感があれば人生はより豊かになる。

自慢は楽しい。

だからまあ自慢することは全然ありだ。

自慢する楽しさをみんな無意識のうちに自覚しているからこそSNSはこの世から消えはしない。

時にSNSの存在を批判することもあるけれどなんだかんだ投稿する人は投稿し続ける。

とにかくハマり過ぎず、他人に害を与えない範囲の自慢であれば全然アリなのである。

SNSをやる目的が自慢だけだと言っているのではない。

もちろん情報の拡散、日々のストレスの解消、人との繋がりを作るなど様々な目的がSNSにはあるだろうが、自慢したさはSNSを利用する際いつ何時も存在するということを言いたいのだ。

いつ何時も存在するからSNSをやる理由として自慢したいというのが大きくなるということをこの記事ではいいたい。

至極当たり前のことを書いている気がするが改めてSNSの本質について語ってみた。

承認欲求と自己実現欲求を満たす自慢という行為を実行に移す手段がSNSだと部分的に定義してみる。


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