僕がnoteを書く理由
今日初めて卒論ゼミの授業をzoomで行いました。卒論テーマを一人ひとり発表するとき卒論で経営者のノウハウを書こうとする学生がいました。理由はその人が現在小さい会社を経営しているからだそうです。
よく大学生でそんな責任感のあることができますね。僕なら堅苦しくて続けられません。
どうも。ひぐまです。
ありきたりな題名ですね。考えがまとまってきたんで書きます。
noteの存在を認識したのってなんでだっけ。たぶん何か書きたいなと思って簡素なブログっぽいやつを探してたからです。
探してるときは「書きたい」という思いしかなくて、なぜ書きたいのかまでは把握できていませんでした。
自分の思いってなかなか言語化できませんよね。その思いが生まれてしばらく考えてからじゃないと言葉で深く言い表すことができないんです。不思議ですよね。これだから自己分析はむずいんだろうな。骨が折れるぜ。
で、まあ最近考えた自分がnoteを書く理由は
「自分の考えを人に伝えることが好き」だからです。
ちょっとこれありきたりすぎるな。こんなん誰でも思ってそうじゃん。でもまあもう少し聞いて下さい。
昔からそうでした。ニュースを見て思ったことや学校であったことから学んだことをよく家族に話してました。家族にはそういうちょっと深い話をしたがってました。
友達にはできないですよ。超つまんない話ですもん。別に話に面白いオチがあるわけでもない。僕はこう考えるんだよね。人間関係ってこうすればうまくいくんじゃないかな。睡眠ってとりすぎるとよくないよね。現代文ってこうすれば点数あがるんじゃないかな。地頭がいい人ってどういう人を指すんだろう。
などなどいろいろ疑問に思ったことをネットで調べて、家族に話してました。一方的に自分の考えを伝えたかったんです。
一方的に自分の考えを伝えたかった。これだな。
noteを書く理由は
「一方的に自分の考えを伝えたかったからです。」
いや何回いうねん。
これだけです。自分の考えを伝えるときは受け取る人が必要なんです。届いたという感触に満足感を覚えますから。
「自分の考えを記録しておける」というのもnoteのいいとこです。
考えたこと、話したことってすぐ忘れますしね。
思ったんですけど「~だしね。」っていう語尾を使うと、後ろの「しね」にすごい注目しちゃって暴言吐いたみたいな気持ちになるんであんまり使わないです。どうでもいいですが。日本語の使い方間違ってんのかな、これ。
僕の中で日記とnoteはまた違うんですよね。
日記は自分の感情を書き記すもの。そうやって自分と向き合う手段だと定義しています。だからちょっぴり恥ずかしい。大学入学前にやってた日記も再開しようかな。
ps いつも書く分量おおい気がしてきた。
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