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その3【今さら公開】2021年コロナ闘病記〜「絶望と恐怖」篇

初老の医師が言ってくれた
「明日、病院に搬送します。」
この言葉に安堵して、その晩はゆっくり眠れ・・・・なかった。全く。

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「ズザギュン」 ビクッ!痛!
8秒
「ズザギュン」 ビクッ!痛!
7秒
「ズザギュン」 ビクッ!痛!
9秒
「ズザギュン」 ビクッ!痛!

多分、眠ったのかもしれないが、7〜9秒に一度やってる、三角刃の切っ先が僕の頭部側面に深く突き刺さる痛みと、その痛みがやってくるという恐怖に一晩中上の写真のような状態だった。

今日の朝は、電話で冗談を言っていた。しかし、夜には3メートル先の内線電話に手を伸ばすのもきつい。自分の体が、猛烈な勢いでウイルスに侵略されている恐怖は、過去に無い心境だった。

済生会福岡総合病院

7月1日。
「ズザギュン」「ズザギュン」「ズザギュン」。
体が毎回ビクッと震えるほどの頭痛は、変わらず7〜9秒間隔で襲ってくる。朝9:00。頭を右手でおさえ、僕は例の謎のワゴンで「済生会福岡総合病院」へと移送された。

済生会

「済生会福岡総合病院」(ホームページ写真より)

済生会福岡総合病院に到着すると、全身防備の看護師さんが僕の荷物を、ホテルのコンシェルジュ並みのスピードと丁寧さで引き取り、僕は即ストレッチャーへ寝せられた。
これを書いてる時のTBS日曜劇場「TOKYO MER」の鈴木亮平さんよろしく、安心を誘うような口調の男性看護師さんが、手早く説明してくれる。

「小柳さん、大丈夫ですよ。まずは血圧を測り、血液を取ります。その後、レントゲンを撮り、CTスキャンに行きます。」
人間は、単純なものだ。こんな安堵感を覚えたことはない。

しかし・・・
「ズザギュン」 ビクッ!痛!
8秒
「ズザギュン」 ビクッ!痛!
7秒
「ズザギュン」 ビクッ!痛!
9秒
「ズザギュン」 ビクッ!痛!

この痛みのサイクルは、一瞬も停止することなく僕を襲い続けていた。


入院

検査を終えて、看護師さんにエスコートされ、7階へとエレベーターで上がった。エレベーターの中のフロア案内を見るとこう書いてあった。
「救急救命フロア」
看護師さんに、俺って救急救命フロアですか?と聞くと、このコロナ禍になり、7階は「コロナフロア」になったという。しかし7階は、救急救命な雰囲気満点の機械がそこら中に置いてある。僕は、701号室に案内された。

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眺め最高(笑)。

アクロス福岡、いつのまにこんなに育った!と、激しい頭痛の中、少し幸せな気分になった。そこに「担当いたします、石原です」と自己紹介しながら、主治医の先生が来られた。小柄ですごく優しい女医さんだ。
世界中の優しさを集めたような話し方と物腰だが、現実は厳しかった。

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「小柳さん。頭痛もつらいと思いますが、肺炎も併発しています。」

上の写真は、CTで撮った僕の肺の輪切り写真だが、左下の白い塊が、肺炎だ。もう覚悟を決めて「治療」するしかない。楽観的なことは全て考えるのをやめようと決めた。

頭痛との戦い

「ズザギュン」 ビクッ!痛!の7秒サイクルは止まることはなかった。
7月2日。7月3日。7月4日・・・・自体は一向に好転しない。

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カロナールの500mg /ロキソプロフェン60mg
どんなに消炎鎮痛剤を飲んでも、下がるのは熱だけで、激しい頭痛はほとんど引かない。

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毎日毎日ひたすらこの状態だ・・・。
慣れることもない、苦痛の時間が延々と続く。
人間、指先を擦りむいた痛みなどは、何かに没頭したりすれば意識から外すことができるし忘れることができる。しかし、我慢できないくらいの激しい頭痛は無視できない。苦痛と、そして精神的に壊れそうになる。

まさに地獄だ。
逃げ場がないことを、地獄というのだ。

さらに輪をかけて、血液検査とレントゲンで「肺炎」が悪化しているという事実も判明した。

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血中酸素濃度も、どんなに深呼吸しても、93%を超えない。油断すると89%とかでて、ナースステーションがピーピーなる始末。

7月5日。
石原先生から「酸素を吸っておきましょう」と、優しく指示された。

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汚い顔を申し訳ない・・・。
激しい頭の痛みと痛みの間の7秒に撮影した写真だが、見ての通り酸素を鼻から入れられる状況になった。入院から5日間。この気が狂うような頭痛は、一時も休まず訪れ、その上「肺炎」の症状も悪化している。

嫌な予感がした。
今まで、マネキンのように全く感情なく聞いていたコロナのニュース。毎日、亡くなられている方の数も聞いていたはずだが、申し訳ないけど意識したことはなかった。
しかし、よく考えてみたら数日でここまで悪くなった自分は、果たしてどこまで悪くなるのか?と考えると、猛烈な恐怖が襲ってきた。
明日、起きたら急激に悪化して、家族はもちろん、会社のメンバーや世話になった人たちにも誰にも会えず・・・みたいにならない保証はどこにもない。いや、普通に生活していても「命の保障」などないことは分かっているが、問題はそれを強烈に意識することに直面するか?だと思った。

その恐怖に、文字通り三日三晩さいなまれ、震えて、祈ったりしていた。

「明けない夜はない」「やまない雨はない」。そう念仏にように唱えながら、今日も24時間激しい頭痛と、息を大きく吸えない症状に精神はボロボロの状態になった。

その日の夕方。石原先生が「小柳さん。もう強い薬を使いましょう。」と言われた。そう気分は「なんでもいいから、この頭痛を止めて欲しい」だ。
ただ、その薬を使うのには「同意書」がいりますと。

ベルクリー

「ベクルリー」という抗ウイルス薬と強いステロイドを点滴で入れるという。同意しないといけない薬を使うのは初めてだったが、コロナが酷くなる恐怖に比べれば、全く躊躇なかった。僕は、時速200キロでサインした。正確に言うと、同意というより、こちらからお願いしたいくらいだった。

高ステロイドの点滴に30分。
ベクルリーの点滴に2時間。

これで効果がなかったらどうなるのかという、2重恐怖に苛まれながら夜は更けていった・・・。

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希望の最終話へ、つづく。


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