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ドールとの馴れ初め、そして自分語り

私がドールを知ったのはたしか今から10年ほど前、中学生ごろだったと思う。
当時の流行りだったかのかどうかはわからないが、きっかけはローゼンメイデンという漫画だった。
そのローゼンメイデンを知るきっかけは愛好しているロリィタファッションからなのだが、それはまた別の機会に。

当時の私はローゼンメイデンをきっかけに、ジュモーやブリューといったアンティークの世界にのめり込んだ。もちろん財力があるわけではないし知識もない。ただただ、長い時が作り出す重厚さに浸っていた。

さてそんな折、ドールについてインターネットで検索していると、スーパードルフィー(以下、SD)なるものを知る。
(当時の時点で既に販売終了になっていたのだが)ローゼンメイデンともコラボレーションしている、ドール界隈では知る人ぞ知るドールだ。

当時の私は「いや、まぁ可愛いけどさ〜やっぱアンティークだよな(厨二病)」などと思っていた。それ以降も神戸にあるドールミュージアムに行ったり、アンティークショップを冷やかしたりしたものだ。

SDM-F-33との出会い

しばらく時はすぎたころだった。私はあるドール愛好家の方のブログを知ることになる。
ドール界隈ではおそらく長い方で、アニメ系ドールなども所有し、メイク等も自分でしている方だった。
なんとなくその方のブログを見ていると、とある少年が私の心を射止めた。
それがSDM-F-33という品番の顔の形だった。

のちにお迎えするSDM-F-33


私はその儚く淡いメイクの美しさ、少し下がった口角と小さな鼻、そして意思を持っているようなまっすぐな視線に釘付けになった。

こんなに美しいSDがいるんだ……。

そう思った。

いつか、絶対にこの目で実物を見る!

それが私の人生の目標の一つとなった。

資金難と里限定モデル

早速色々SDというものについて調べることにし、インターネットで「今時の」ドール情報を漁りまくった。
キキポップなどのアニメ系ドールの魅力もすっかりわかるようになってしまった私は、一層のことドールが欲しくなった。

のちに手に入れることになるキキポップ

しかし、ドール沼は遠かった!
なにせ高い。学生には手に入れられない価格だ。
中学生には無理だった。

時はすぎ高校生になる。
進学高校に入った私はバイトも禁止の中、やはりドールをお迎えすることは無理だった。
できることは衣装を買うことだけ…それでも高くて1着だけだったが、テディフランツセットという衣装を買った。
そんな中、SD真紅(ローゼンメイデンコラボレーションのSDのこと)に憧れフルチョイス(SDのセミオーダーメイドサービスのこと)をしたという人を紹介してもらう機会があった。
仲良くなった私はさっそくSDの実物を見せてもらうことになった。
美しい…!
今まで自分が持っていたドールの概念が覆されるような感覚だった。
あぁ、今を生きるドールもこんなにも美しい!
興奮気味の私はその友人とドールについて話した。そこで知ることになるのは、ホームページを見てわかっていた通り金銭的に学生には難しいということ、それに加えてSDM-F-33は天使の里(言わば京都の本店のようなところ)限定のパーツであることだった。

大学進学、関東での就職

大学生になり、バイトも解禁。
やっとドールを?というところだがまだ学生にはやはり難しかった。学費や交通費などを考えると、最低でも五万から必要なSDの世界に踏み入れることは無理だった。
ローゼンメイデン新作アニメ放送があったりもしてやはり絶対にドールを!SDを!という気持ちになった。


なんやかんやで時はすぎ神奈川に就職することとなった私は、看護師として働くことになる。
ドールを手に入れるぞの気持ちはあったが、ここで元々の憧れ、原点であるロリィタファッションの熱が爆発!
またドール貯金への道が遠のいた。

自己実現とドール

しばらく経ってから持病が発症。
働けなくなった私は、数ヶ月休職。
そして大学病院を辞め、二時救急病院で看護師のパートをすることになる。
まあそこがブラックで。持病も症状が安定せず、休みがちな状態。とてもじゃないけれど続けられず。一年半ほどで、今働く病院へ転職。

なんだかんだで20代後半になってしまった私は、薬の副作用で痩せていた体も太り、見た目に関してもすっかり自信を無くしてしまっていた。

必死に働き、でも、もうロリィタも似合わなくなってきた。辛かった。

ある日東京に遊びに行くと、リサイクルショップにキキポップがいた。黒いドレスを着た彼女はまさに理想のゴシックアンドロリィタ!
「こうやってフリルが似合う自分になりたい!」と一目惚れしキキポップをお迎えした私は、SDを手に入れたいという気持ちがより一層強くなった。
Xでドールアカウントを開設した。

さてやはり手に入れるならSDM-F-33だ。
フルチョイス本を買って読んでもその気持ちは変わらなかった。
これから京都への遠征費も含め約十万円貯めなければならない。私にとってそれは大金だった。

数ヶ月経ち夏のボーナスが出た。それは大学病院時代(つまり正社員時代)以来、しばらくぶりのまとまったお金だった。
よし、このうちの一部を貯金に当てなければ!もちろん自分が生活する分の貯金もしなければならない。そう考えるとやはり京都でのフルチョイスはまだ遠い道のりだった。

ある日ドールアカウントを見ていると、とあるツイートが流れてきた。
天使の窓(原宿店)にコーディネートモデルを見に行った。というツイートだった。
コーディネートモデル(一式コーディネートされたすぐにお迎えできるSDのこと)というのもあるのか…と思っているとふと、気がついた。

あれ?この顔見覚えがある。いや、間違いない、SDM-F-33ちゃん!

↓当時のアカウントのツイート


ここで有識者(A氏)がリプライで教えてくれた。
33番ちゃんは天使の窓でもコーディネートモデルがお迎えできる!
しかも現時点で窓にタン肌(日焼けした肌の色)の子がいる!

私は心が躍った!
今のドール貯金と月末の給与からの貯金を合わせれば、SDのコーディネートモデルは手が届く!

色々な想いが渦巻いた。
タン肌かわいい!でもその時まで33番が待ってくれるかは分からない。
いや、その前にタン肌はいわば特別色。最初はフェア肌(いわば通常色)が良いのでは?

悶々としつつ数日過ごすことになった。


その日

2024/8/12、仕事中A氏からDMが届く。
内容はその日窓に行ったということと、33番(タン肌のみ)はあと3人いたこと。そして写真が添付されていた。
3人の33番がいた。そのうちの1人、小鳥を持った子に目が釘付けになった。

そこからは早かった。
急いで彼氏に連絡をとり、「仕事終わりに原宿へ向かいたい。」と伝え車で迎えにきてもらうことにした。仕事中もずっとドキドキしていた。

仕事が終わり、その足で原宿に向かう。
ずっとソワソワとして車の中でも落ち着かなかった。
憧れだった33番、でも実際に見るのは初めてだ。
「もし、実際に見たら違う…となったらどうしよう」
「タン肌も違和感があったらどうしよう」
「そもそもSDについてそんなに詳しくもないのにいきなり今日お迎えなんでできるのだろうか」

不安の中、窓についた。

店員さんが出迎えてくれる。
時間は18時を超えていた。

「あの…初めてなんですけれど、この子まだいますか?」

DMでもらった写真を見せる。

「あー。」

しばらくの沈黙。まさか先に誰かがお迎えしてしまった?

「こちらに…あれいないな」

そこには誰もいない。
体温がすぅと下がる。

「あ、いました!場所を変えたみたいです。ほら、小鳥を持ったままですね。」

心臓がドクンと跳ね、体温が一気に戻ったような気がした。
そこには写真で見た通りな顔でまっすぐこちらを見る33番がいた。

「あら、お迎えかしら?」

そういう顔でこちらを見ている。

でもこの私、そんなに思い切りがいい方ではない。

「この子……あ!でも、他の子も一応見ないとですよね!」

店内をぐるりと回る。甘えん坊そうな子、利発そうな子、様々な子がいた。

「ああでも違うな。」

私は再び小鳥を抱えた33番名前に立つ。

「あなたは、もしかして、運命の子ですか?」

心の中でそう呟く。

「……ほら、戻ってきた。」

ドールは表情が変わらない。でも確かにその時、彼女はそうやって微かに笑った。そう感じる確信めいたものが私の心にあった。

「この子です。この子にします。」


仕事終わりのボロボロの私と美しいSDM-F-33



その後、優しく店員さんが案内をしてくれ、SDのいろはを教えてくれた。
遅い時間に来訪したにも関わらず優しく教えてくださった店員さん方には頭が上がらない。
A氏にもだ。
A氏が写真を送ってくれなければこの出会いはなかった。本当にありがとうございます。

そうして今、私の隣にはSDM-F-33(名前を私の名前から連想して「恋(れん)」)がいる。

文字にするとあっけないかもしれない。でも確実に人生において重要な大きな出会いだった。
どうか、この子がずっと私のそばで安心して過ごせますように。

そして、この子が結んでくれた縁。
それはフォロワーの皆様やこの記事を読んでくれている皆様も含む。
この縁を大事にできますように。


ウィッグと衣装を変えた恋。衣装は学生の時に買ったもの

余談

思えば「恋」、いわば「もう1人の私」と出会うまでに予兆のようなものはあった。(決してスピ系ではないのですが…笑)

学生の時から名前は「恋」と決めていたのだが、迎えるのは男の子(男の娘?)と思っていた。

それは、私は子供の頃自分が女の子であることに疑問を持っていた時期があったからだ。
今ではすっかり女性としての自分を受け入れているのだが、当時は自分はむしろ男らしいとまで思っていた。

そんな私だから、もう1人の私がいるのなら男の子であるだろう。そう思っていた。

しかし昨今の様々な性を取り巻く問題や多様性のあり方を目の当たりにして、そうして最近になってようやく自分が「少女性にコンプレックスを抱く女性であった」ことを理解した。
「恋は女の子だったのか」とストンと納得したのだ。

すると、どうだろう、今まで遠くにあったSDM-F-33をお迎えすることが急に(地理的にもタイミング的にも)身近になった。

ずっと勘違いしていたから、遠かったんだ。

そう思わざるを得ない。
そして、まだ幼く、女性になることに不安を覚えたあの時の自分を抱きしめてあげたくなった。

「やっと気づいたのね。貴女は生まれた時から乙女なのよ。」

恋がそう教えてくれたのだと思う。
ありがとう。恋。


……私は貴女、貴女は私。

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