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血肉内蔵あいたいする

おかしなあいたいする物事を比べて、自分をどう愚かから反対側の理想に、あるべき姿に、移動して這い上がるか、を考えて自己破壊と共に呼吸を許し生きる傾向に自分があると知った。
つまりディフェンスメカニズムである。
好きと嫌い、怖いけど見ちゃう、愚かか立派か(ストイックと名乗るけど嫌いなことは一つもしない)、エゴか本心か、死にたいけど死ぬのが怖い、
自分をそれらの中の一つに当てはめ矛盾を呪い狭間を行き来し自己嫌悪と呼べぬクライシスを起こし、自しね救う。気持ちが悪い。
だが生か死なんだよ、生への原動力、fuelなんだよなぁ、この循環がw

これを理解する一秒前まで自分のことが愚かすぎて死んで消え去りたかった。今でも自分が愚かすぎるが、循環の仕組みが分かったのでなんとかw

ミスiDで噓なわけない、シャープな神々からの評価、人生で一番うれしくて、この全てのぐちゃぐちゃを面白いと思ってほしくて、来たのに。
うれしくとも無条件に受け止められなくて。
だって、こんなにも愚かな人間、いないwせっかく面白いと言ってくれるのに勝手に勝手にその評価に自分が値するかどうかドキドキして。
で、狂った頭で考える結果いつもエゴまみれすぎて、ギルティすぎて、無価値だから今すぐしね自分w
なにひとつおもんないじゃんかwこんな無価値なやつのなっっっっにが面白いのかわからない。しねしねwとかなんかなんかなんか、思って、
苦しかった。

では具象的に、surrealなアブストラクトしかスペシャリティじゃないが、具象的に。何をもって自分が愚かなのか、なにが循環してるのか。
まず、脳の暴走の歯止めが利かない。
心が、脳を実況し、ふかんしている感覚。
海の生物や、呪われたり怖いものに監視されている感覚が、だいっっ嫌いなのに、脳がそればかり考えて、拷問してくるw
でも、脳が幹部ならば、うわべで"いやだ~こわい~"とほざいている心が間違っているのではないか。きらいきらい心で言ってるものなんて、本当は好きなのでは??

嫌いないじわるとは一切関わらない。
だが好きで行ってる学校や、生きると選んだ人生や、日本に来ると選んで手にした環境、があるのに、それらに対していつもいつも愚痴ってる自分はまるで"不幸だから、不自由だから、許してください"と言ってるのと同じだ。
愚かでしかない。(おののきよつぎちゃんの言葉の脳内変形再生)
頑張ると決めたら黙って黙ってやれ。かっけえー-そういうのが愚かじゃないっていうんだよ、なのにおれは愚かで、愚かにとどまってて、救いようのない無価値なごみくずだ。死んでしまいたくなる、無価値無価値無価値でw

ぬいぐるみや人形が大好きなのに、集合体恐怖症で脳が、彼らはお前を恨んでいるかもしれないよ!!!と元気よく狂気的に伝えてくる。

でも、自分の中にある、もしくは癖で創造する矛盾を並べて自分をso called "苦しめる"行為は、救いだ。
このどうしようもないクライシスがあるから、そしてアウトプットせずにはいられない人間だから、ミスiDにも自分晒せて、虚無から焦点をずらせてる。

血肉内蔵なのだ、この脳容量が低すぎて二つのあいたいする矛盾しか比べられないクライシスは!


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