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【#ProcriarFilms】Vol.10 「105の68の世界と僕」 三富駿

クリアソンファミリーの皆さんこんにちは!

昨年よりプロクリアルに加入させていただいた三富 駿(みとみしゅん)と申します。

僕は今、工業機器を専門的に扱う商社に勤務しています。
例えば、水道水を運ぶために使用するようなポンプや、
製薬会社などの研究開発などで使用する顕微鏡などを販売しています。

現在24歳で、7歳から18年間ずっとサッカーを続けてきました。

小学校から高校まで本気でサッカーをやりました。

大学ではサークルに所属し、さまざまなルーツを持つメンバーとプレーする事で、
サッカーを純粋に楽しむことを学びました。

プロサッカー選手にはなれませんでしたが、高円宮杯やインターハイに出場したり、
全国高校サッカー選手権にも出ることができました。

サッカーは人生の縮図とも言えます。

サッカーを通して人生の多くを学びました。

特にそう感じたのがサッカーから距離を置いた大学での5年間(はい。留年しました。)

今回は大学時代に感じたことからプロクリでの生活を書いてみます。

このnoteを通して僕について知っていただければ幸いです。

人生初のnoteです。最後までお付き合いください。


1.サッカーを続けなかった理由

2016年1月2日

最後の笛が鳴った。

結果は1−3 敗戦

高校サッカー人生は全国ベスト32で終わった。

その笛を見届けたのはベンチからだった。

「いやー終わったかー」
直後はこれぐらいの気持ちだった。

自分がベンチだったことに不満はなかった。本当に素晴らしいゲームだったと思う。
出ていた選手もそれ以外の選手も組織が一体となって戦った。

僕は心から試合に出ていた選手を一人一人労った。
その時出場していたのは1つ下のGKだったが、ありがとうという気持ちでいっぱいだった。

だがロッカールームに戻り、同級生の顔を見たとき急に込み上げてくるものがあった。

「あれ?なにこれ?なんで急に」

心の奥底にしまっていたものが込み上げてきたのである。

なぜかわからないけど止まらない。それと同時に「悔しい」という感情が出てきた。

最初はなぜかわからなかった。

「負けたから?いや違う。1個下が出てたから?それも違う。」

小学生から知った顔のメンバーとの最後を、ピッチの上で迎えることができなかった自分に腹が立っていたのだ。

そんな自分に驚きを隠せなかった。

この時のことは今でも鮮明に覚えている。過去イチ泣いた気がする。

ではなぜ、大学で続けなかったのか?

もちろん続ける選択肢もあった。

だが正直、ここからまた、熾烈な競争を4年間本気で続ける自信がなかった。
毎朝起きて全国の強者と戦う自信がなかったのである。

もう競争はいい。

と同時に、知らない人とサッカーをすることに魅力を感じなかったんだと思う。

あくまでも昔から仲の良いメンバーと一緒に何かを積み上げたかったのだと

今になって思う。

ぶっちゃけプロクリに入りたいと思った理由もそれに近い。

結局入れ違いで退団してしまったが、苅部(2020シーズン所属)と現副キャプテンの若杉くん(#7若杉俊介)とサッカーがしたい。

最初の動機はこれだ。(捧(2020シーズン所属)もいましたね。後輩がお世話になりました。)

そんなこんなで大学ではサッカーをしないという選択をした。

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2.誘惑

結論、大学生活は最高に楽しかった。

後悔はしていない。

遊んで、遊んで、バイトして、遊んだ。

先輩にも可愛がってもらった。

旅行にも行ったし、海外でサッカーもした。

バイトは色々な業種をした。

・代々木上原の焼き鳥屋で5年
(一樹さん(Procriar代表#森一樹)・山さん(#5山内崇裕)御一行が来店した際、ずっとサッカー観て議論していた時にはその頃ドン引きしてました。)
・少年サッカーのコーチを5年
・サッカースクールで1年
・渋谷のBAR
・ブライダル
・引越し

稼いだお金はほぼ全部使っていた。

特に2年生の頃は毎日駅前の居酒屋で飲んだくれ。

おかげさまで3年に上がれず留年。

目の前の楽しいことに流されまくった。

何人かは同じように留年したが、ほとんどの人は普通に卒業。

「あれ?大丈夫そう?」

あれも楽しい、これも楽しい。

なにも考えずに過ごした。

今となればいい経験だったが、人生において最低な過ごし方をしたことは言うまでもない。

それでも、崩れ切らなかったのはサッカーがあったからである。

幸いにもGKというポジションはとても重宝され、様々な試合の助っ人に行った。

多くの大人と出会ってお話しさせてもらった。

「君は何者なの?」「サッカー以外の強みはある?」

なにも答えられなかった。

大人たちはサッカーがなくても何かしらの強みを持っていた。

その度に、過去の栄光に縋っていた自分は中身が空っぽだと痛感した。

そして何よりも救いだったのが、毎週の少年サッカーのコーチで子供たちと触れ合えたことだ。

指導をする立場の人間がこんな人間性ではダメだ。

そう思えたことが軌道修正することができた要因だった。

本当に感謝している。

子供たちに一言。
「最初の頃は酒臭くてごめんな。ありがとう。」

一方で、、、

「選手権出てるんだすごいね。」

「ベンチでしたけど」

この会話が悔しい思いを時折思い出させた。

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3.アディショナルタイム1年

突然だが、僕にはもうひとつの顔がある。

アンドサッカーのSHUN だ。

YouTubeチャンネルやフットサルイベント、育成年代向けのプロ選手の講演会などを行なっている。
※相方は がてぃ 小学校からの仲で高校まで同じチームだった。

登録者数 4760人(5月7日現在)
総再生回数 95万回以上
イベント参加者は累計100名以上である。

気になる方はぜひチェックしてみてくだい!

https://youtube.com/channel/UC0kEVZ-QXLwIWE1qbonzo1w

余談だが、うちのサークルは最近YouTuberサークルと呼ばれている。
・ウィナーズにも出ている「かけまるカップル」の「かける」
・TikTokでバズってYouTubeも始めた「伊吹とよへ」の「よへ」
・アトガナイズ「わたる」
・アンドサッカー SHUN
全て同じサークル出身の先輩後輩である。
※何を隠そう1番登録者が少ないのが我らである。

これこそがアディショナルタイム1年で始めたことだ。

サッカーを取った自分には何が残るかを考えたときに、正直何も浮かばなかった。

そこでいろんなことをやってみた。

アパレル・FPの勉強・スペイン語

何かのスキルを身に付けたかったが、どれも思うようには続かなかった。

その時、これらを学ぶために使用していたのがYouTubeだった。
(全部タダで解説してくれるなんて最高なので勉強法としてはかなりおすすめ。)

そんな中、ふと再生したのが動画編集の解説。

ある動画がキッカケでのめり込んだ。

「なんだこの動画かっこいい」

こんな動画を作りたい。

「しかもこれを作ったのは同い年で大学中退して起業した人!?」

最高やないか。

だが、問題が一つ。

ドラマチックな動画表現のセンスがなかった….

残念。

そこで考えたのが、趣味でもある「スパイクの紹介」

海外ではよく見かけるけど日本では観ないなと思い始めた。

すると面白いように伸びた。

これはいい。

サッカー系ならしゃべれることも多いしやってみよう。

結局サッカーに戻ってきた訳だが、「今までやってきたことを活かして新しいことに挑戦する」という意味では最高の掛け算だった。

そんな時、現相方で同級生のがてぃと再会した。彼も同じタイミングでYouTubeを始めていた。
お互いのやりたいことを話している中で、共通点として見えてきたことがあった。

動画を通して何を伝えたいのか?という問いだ。

そして答えは
「サッカーに恩返しがしたい。」

2人の気持ちは同じだった。

思い返すと人生で大切なことの大半を、指導者の方やサッカーを通して出会った人たちから学んでいたのである。

次は僕らがこの経験を与える側である。

そのためにコンビを組んだ。
毎日会って何時間も構想を練った。

アンドサッカーという名前をつけるのに丸二日は喋った。

時を忘れるほど熱中したのはいつ以来だろうか。

この時確信したことがもう一つ。

「僕にはサッカーしかない。」

今風にいうと、「サッカーしか勝たん」

ただ、今までと違う事は「サッカー単体」ではなく「サッカーと何かを掛け合わせる思考」を持っていると言うことだ。

既に想像以上の反響いただいている。

4700人もの方々が登録してくれている。

そんな皆さんにこれからも、サッカーがつなぐもの、サッカーと夢、サッカーと人、あなたとサッカーなど、様々なテーマを通じて、「サッカーの素晴らしさ」を伝えていきたいと思っている。

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4.どうしても忘れられない景色と後悔

あれから5年が経った。

それでもこの5年の間ずっと忘れられなかったロッカールームの記憶。

もちろん大学生活では充実した生活を送っていたが、常に何か物足りなさを感じていた。

それが何かは正直自分でもわかっていた。

ただそんな気持ちを押し殺して大学ではサッカーから離れた。

他のことを経験してみたいと思った。

サッカー界から1歩出て外の世界を見てみたい。

そうすることで自分にとって何か得ることがあるのではないか。

そう思い、就職でもあえてサッカー業界を選ばなかった。

就職が決まったある日、ふとTwitterを見ていたらキーパー募集のツイートを見つけた。

リツイートしていたのは若杉君だった。

何人か高校の同級生が所属していたのでなんとなくは聞いたことがあったチーム。

「今しかない」

そのツイートを見た瞬間迷うことなく若杉君にメッセージを送った。

社会人になるタイミングで環境が変わる。

もう一度現役復帰できるとしたら年齢的なことも考えここしかないと思った。

最初に練習へ参加した時は驚いた。

こんなに全力で声を出して走るのか。

「プロクリってやばいな」

最初はそのモチベーションも意気込みも意味がわからなかった。

それぐらい圧倒された記憶がある。

のちに、ゆささん(2021シーズン所属)にはさらに衝撃を受けた。

ここに身を置けば必ず成長できるな。

「戦おう」

この「戦おう」はサッカーだけではなく「自分自身と戦おう」という意味合いだ。

苦手とすることを常に求められる環境に食らいつき個性を出す。

想像の3倍は加入前にダメ出しを喰らい苦戦したが、なんとか加入することができた。

一歩引いて組織を見ようとする自分や、中途半端な性格を一瞬で見透かされた。

そこからは日々葛藤、それは今も変わらない。

自分は今チームにぶら下がってしまっているかも、と危機感を持てるようになったのは少しでも成長している証拠だと信じたい。

言葉に重みを持たせるにはどうすればよいか。どのような行動をすべきか。

大学でもサッカーをやってきたメンバーとの経験値の差をどのようにカバーするか。

日々頭を悩ませている。

「ぶっちゃけしんどい!」

もちろんいい意味で。

昨年は5年ぶりの本気のサッカーということで、思うように体が動かなくてかなり苦戦した。

2年目は同じでは許されない。まずは昨年から10キロの増量をしてパワーをつけた。

股関節のストレッチやジャンプ系のトレーニングも取り入れている。

オフザピッチでも、より個性を出せるように試行錯誤を繰り返す日々。

昇格

というチームの大きな目標に向かい、僕自身も目標とする場所に値するような人間になりたい。

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長くなりましたが、いかがでしたでしょうか?

最後までご覧いただきありがとうございました。

22番 三富 駿

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