人は「ヒト」。動物でしかない。そもそも分子の集合。

かのヒトは、人は考える葦と言ったそうな。

全く偉そうな話だ。

ヒトもサルもイヌも虫も何も変わらない。
別に同じっていう訳でもないが。

ヒトは合理的にはできていない。昔から受け継がれている経済学が、合理的な人を想定して考えていても、結局後追いの説明しかできないことは驚くまでもない。合理的な人間なんて見たことがない。


「考える」ということは、

既存の知識から最も合理的な結論を導くことを表現しているのではないだろうか。「それで考えてことになると思ってるの??」って言いたくなることは多々ある。新年度始まって、新入社員や新入生にそう感じた人はいっぱいいるのではないだろうか。

目の前の本人が、合理的な結論に達していないから、「考えが足りない」と言いたくなるのだろう。


それを言っているあなたも、本当に「考え」が足りているのだろうか。




ヒトのことを合理的な生物として捉えるよりも、ただの生物だと思った方が理解は早い。

人は蜜を前にすると、寄ってくる。
犬も餌を前にすると、寄ってくる。

人は罰を受けると、その行動を取らなくなる。
犬も罰を受けると、その行動を取らなくなる。

ちょっと仕組みが複雑なだけで、大半は変わらない。
DNAだって大半は変わらない。
それでいて、特段特別な存在でもない。
生物の一種類なだけでなく、別にその中で特別な訳でもない。

現在の文明を築いたことを特別と言いたくなるかもしれない
巧みに言語を発することを特別と言いたくなるかもしれない
服と家がなくては生きていけないことも特別だろう
水中では息ができず生活できないことも特別だろう

特定の分野で秀でているからといって、特別にはならない
特定の分野で秀でている、別に特別じゃない人が周りにいるだろう。


結局のところ、

「ヒトは所詮動物でしかない」と考えるとうまくいくのだ。

実際がどうだって構わない。社会的に都合がいいのだ。

合理的じゃない人がいても、違和感も、怒りも感じないし、
動物だと思って対応すれば、諸々うまく反応が返ってくる。
自分だって、動物だと思って、しつけをするのがうまくいく

下手な尊厳を感じることは、本来差がないところでふんぞり返るようなもので
つまりは、肘つき椅子に腰掛けて、周りを見下しているおっちゃんと同じだ。

そんな考えでは何も変わらないし、
そんな考えでは人は動いてくれない



同じことを繰り返す。
「人は分子の集合」だと思ってもやっぱり上手くいく。

人は死んだ後のことを考えて悩む
人は死ぬことをなんとなく恐れる

結果、
人は生きていること自体に価値を見出す
生にしがみつき、他者を生に縛りつける

これでは生きている間の自分の意思なのに、
死んだ後のことなんか考えても仕方ない

死んだら灰になる。それだけ

体を構成していた、まとまりのある分子がバラバラになる。

それだけ


別に、
だから、
人は合理的でないと言いたい訳でもない

別に何も、特別じゃないのだから。

ただの分子の塊。


そうすると、世界が平たく見えてくる。

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