プレゼンを読み物にさせない

「資料はわかりやすく、あとで見ても理解できるように」

これまでは、そう言われてプレゼン資料を作っていた。
資料にできるだけ詳しく情報を入れて、資料単体で理解できるようなプレゼンを作っていた。

しかしどうだろうか、文字の多いプレゼン資料では、
相手が動かない。

視線が動かない

心が動かない

小学校で、国語の教科書を、淡々と音読させられているようなものだ。
誰も聞きたいと思ってないし、
聞かなくても教科書を読めば書いてあるし、
聞いたところで、何か考えていることが変わるわけでもない。

資料ばかりに目がいってしまって、話を聞いていないし、読むことで精一杯で心にまで響くことはない。
資料がなければ、話に耳を傾ける他、理解する方法がない。
資料を見てもわからなければ、耳を傾ける他ない。

話をするのは、プレゼンをしている自分だ。
プレゼン資料ではない。

聞いている人が黙々と資料を読んでいるのであれば、それは問題だ。
話は聞いていない。
話したって聞いていない。全く。
むしろ黙って読み終えるのを待つのが良い。


「それでは、後になって、相手が忘れてしまったらどうするのか。」

相手に響けば、後になっても覚えている。
忘れてしまうようなプレゼンに、何か効果があるようには思えない。

資料を求める相手は話を聞いていない。
聞いていない話を推測するために、資料を読もうとしている。

「資料が欲しい」と言われたら、そのプレゼンは失敗だ。

資料を繰り返し読まないと理解できないプレゼンだったのだ。
残念ながら詳しい資料を送る羽目になるだろう。
それも、下手なプレゼンの尻拭いとして。


プレゼンは自分に目を向けさせなくてはならない
プレゼンは自分に耳を向けさせなくてはならない

美しい映像を眺めるように
美しい音楽に酔うように

プレゼンを聞いてもらう必要がある。

それ以外のプレゼンは良いプレゼンではない。
プレゼンに例外はない


動かすプレゼンをする

そう思えば、自然と行き着く

本気で「動かすプレゼン」をしたいですか



注)この下には何もありません

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