二都物語 牧師とお話メモ

2018.5.9 牧師と二都物語についてお話した。

①聖句「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」(イエスの言葉・ヨハネによる福音書11:25-26/新共同訳聖書)
(ディケンズ「二都物語」/新潮文庫:P.549, 550, 552, 656)
・イエスの言葉が矛盾しているように感じる。
 ex:「死んでも生きる」「生きていて…死ぬことはない」
 →「生きる」ことと「死ぬ」ことの対比
  肉体の「生死」だけではなく、「生きる」には「神に祝福された」などの意味もある。(∴置き換えれば矛盾しない?)

②聖句「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(イエスの言葉・ヨハネによる福音書15:13/新共同訳聖書)
・まさにカートンのことを言っていると思った。
・そもそもこの聖句はイエス様自身のことを言っている。最初に読んだ時、カートン=イエスと一緒だ!と思ったので…これでいいんだな。繋がった。
・だから自分は、今の自分ではカートンにはなれないと思うのかもしれない。憧れる。できないと思ってる。でも憧れる。
 ex:他にも「塩狩峠/三浦綾子著」や「新大久保ホームの事故」を思い出す。

③聖句「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。」
(パウロの言葉・フィリピの信徒への手紙1:20-21/新共同訳聖書)
・パウロ自身は死んでいるのも同然(以前はキリスト教徒を迫害する立場だったから)であり、キリストを語ることによってだけ生きている。死んでも語ってきたキリストの言葉だけは残る=それは(パウロにとって)利益だと考える。
・カートンも同じか?

④『魂の記憶』について
・誰でも神の子の種を持っている。
・①の聖句は、昔のカートンに『魂の記憶』としてインプットされたのではないか。思い出そうとして思い出すものではなく、聞こえてくる。

⬛︎ まとめ
今まで聞いたことのある聖句ばかりだったのに、新たな視点をもらい、いろいろなことを教えてもらい、とても興味深かった。
①の聖句は文字上のキーワードでありカートンが歩んだ道そのもの。
私がこの物語のテーマとして受け取ったキーワードは②の聖句ってことなんだと思う。特に今日は②の聖句に出会えてモヤモヤとしていたことに1つの答えをもらったと思う。先生、ありがとうございました!

いいなと思ったら応援しよう!