伏線回収の重要性

 また書いただけでしばらく下書きで眠っていたので。思想の強い暴言を書き散らかしてしまっている。

 国営放送が朝の8時から放送している連続テレビ小説を生まれて初めて1シーズンしっかり見ました。きっかけは、音楽担当がフラッシュ金子こと金子隆博さんだったから。見る前は、大晦日の大型歌番組で朝のドラマでワンコーナーやられても「見てないからこの変なノリついていけなくてしんどい…」ぐらいの印象しかなかった枠でした。
 過去の作品だと「あまちゃん」は当時サブカル大好キッズに片足を突っ込んでいたためなんとなく存在は知っていたので、サウンドトラックをレンタル落ちで買ったりしていました。あとは「まんぷく」の時にインスタでその日の内容をサマった漫画が投稿されていたのでそれだけ見ていたという感じです。サークルの後輩が家に来て一緒にチキンラーメンとカップヌードルを食べたりもしました。最後に実家に帰った時は親が「おしん」の再放送を見ていたのでそれを後ろから見るとも見ないともない距離で聞いていたという感じです。
 なんにせよ僕は毎朝そんな早く起きないので無縁な枠だなという感じでした。

 さて、結局リアルタイムに起きてみた日は一度もなく、録画しておいたものを毎日家に帰ってから夜遅くに見ることになり、Twitterで実況している人たちを見ないように生活するのが大変だったわけですが、音楽目当てで見始めた割にはしっかりハマっていたと思います。個人的には柱が何本も立っている話は好きなので、じっくり楽しめました。安子編のキャストが時を経て別役でひなた編に登場するギミックとかは結構好きな手法だったし。人との縁や関わりが稀薄になってきた現代で、その温かさや残酷さを両方見れた気がします。そのトリガーにラジオが使われたことも非常に素敵でした。
 ただ、ドラマのコンセプトが「100年の物語」だったので、かなりわかりやすく「ここが後から効いてくるんだろうなぁ…」というものがちりばめられていた日はそれなりに冷めたりもしました。いわゆる「伏線」というやつですが、「それに気づいちゃったらもう伏線じゃなくないか?」ということが多かった気がします。伏せれてないじゃん、みたいな。そのあたりが上手く曖昧にボカされていたのは算太の晩年に関わるあたりだけだったような気がします。老けメイクでの起用ってどうなん?とはなりましたが、金太と算太の最期は確かにしっかり泣きました。ただ、そこの描き方が非常に良かったからこそ、横浜の和菓子屋はちょっとやりすぎで急に冷めたりするわけです。ただの小道具として背景にぼんやりあればよかったものに無理してクローズアップ現代しなくてもいいんじゃないかしら…という気持ちになりました。

 個人的には、昨今の「伏線回収主義」ともいえそうな風潮がいよいよ寒くなってきました。ラーメンズを覚えたての高校2年生じゃあるまいし、何でもかんでもオチで回収すればいいって問題でもないし、「伏線回収」=「エモい」という単純な劇薬に手を出したせいで、部分的には良かったけど分かりやすすぎて逆に冷めるという感想を抱くことが最近増えた気がします。あくまで個人的にね。
 最後に「あの時のあれはこうなった(だった)のか!」と気づいたときに初めて「伏線の回収」と言えるわけで、足元を見たときに「あ、伏線だ。これいつ回収されるかなぁ。」なんてハッシュタグ付けてツイートできるものは伏線でも何でもないと思ってしまうのです。意外性がないというか。「どうせ回収されてもエモいで終わるんでしょ、はいはい。」という気持ちで見てしまうのは僕の性格の悪さかもしれませんが、そんな作品ばっかり増えたな最近と思いこんな意地悪な文章を書き始めてしまいました。

 あと、結局「何をやっても何を言っても時間さえ経てば老人パワーですべてが許されるのよ、だから生きなさい?」というメッセージにしか受け取れなかったのがゆきえさんの晩年と安子との再会シーン。そもそもゆきえさんの立ち位置をいまのコンプラ大遵守時代に描くこと自体が難しいし、その中とはいえ女中の発言としてリアリティがなさすぎるというか、もっと当時の人は身分を弁えていたはずだと思ってしまった。そんな超戦犯のゆきえが病床で過去の発言を悔いてもこっちからしたらもう遅いわけで。先代雉真社長の葬儀の朝に饅頭食いながら朝ドラ見てたよね君?「そんなこともあったけど、そのおかげで今の暮らしがあるし気にしないよ。」なんて無理だよ僕には!!!!!と思ったり。雨の中閉め出された安子が回想で出る度に腹痛の症状が出てしまっていた僕としては、そんなんズルいやんという気持ちでした。
 安子とるいが何十年も背負い続けた罪の意識も、絶対回収しなきゃいけないのにかなり雑だった感が否めないというか。もっと丁寧に描写してほしかったなぁ。安子もるいもどちらも悪くないし、なんなら悪いのは雉真繊維なのに年さえ取ればオールオッケーなんかい。という気持ちで終盤戦は見てしまった。この僕の気持ちは若さゆえの過ちなのか、わかる頃には僕も年を取ってるのだろうか、いや老いてもこの気持ちだけは絶対に忘れん!という気持ちです。というか雉真の家は新しいのか古いのかスタンスがふわふわしすぎて安子とるいがかわいそうです!!!!!!
 これを踏まえると老いてもなお過去としっかり向き合った算太マジで最高な男だなと思ったり。パッと見何度も逃げているように映っているけど、逃げるほどに向き合うというか。一度逃げたら逃げ続けなきゃいけないし、なぜ逃げるかというと追われるからだし、常に逃げたことと向き合わなきゃいけないから他の人の倍以上は向き合ってると言っても過言ではないと僕は思うわけです。さすが算太。さすが長男。長男はやっぱり家業ほったらかしてふらふらするべきなんや。なんや!!

 ここまで書いて2週間ほど放置していました。新しい朝のドラマは1話だけ見て滞っています。なんか無理やり流行語を作ろうとしている感じが受け付けなかったので。見ていて全然どんどんしなかったので。
 もう明日が気になって仕方がない!これは明日まで生きなきゃいけない!そう思わせてくれた半年でした。立派なカムカムの赤ちゃんになっていたというわけです。見始めたころにはこうなるとは思ってなかったし、この気持ちになるための伏線はどこにあったのか。まぁわからんけど、とても良い余韻で見終えることができたドラマでした。お願いだから余計な続編とかやらないでね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?