25

25歳になった。「まだまだ若いね」って言われることはこれまでたくさんあったけどついに25歳になったかと思う。
比較するのもおかしな話だけど、アスリートならここがピークの年でもおかしくないよな、なんて思う。
体は少しずつ無理が効かなくなってる自覚があるし、メンタルのアップダウンが少し落ち着いた。感覚的には出力30%が時間の7割、90%が3割を占めていたとするならば7割くらいのところで安定している。(もっともこれが年齢に起因しているのではなく、不安定な生活習慣と使い方を間違えた脳内物質のせいでは?と言われれば何も言い返すことはできない。)

僕は決して自己評価が高いわけではない。やれなくて悔しいこともたくさんあるし、人よりできないものもたくさんあるし、得意だと思ってたことが負けたりする。
特にやっぱり年齢というものには敏感で、10代にしてすさまじい作品を作る映像クリエイターなどを見ると、リスペクトだけでは収まらず澱んだ嫉妬心があることを否定できない。
とはいえ、そんな否応なく感じさせられる負けているという事実に対して、作ることをいまだに諦めず、何か美しい景色が見たいという執念のままに走り続ける毎日を最近少し誇らしくも思う。

話を少し変える。先ほどの鬱屈した思いとは逆に、この数年間自分が過ごしてきた毎日は、そして自分の作るときの思想やスキルは、驚くようなスピードで日に日にアップデートされていった。こんな速度でこれができるようになるなんて、と思った回数は数知れず、それでも欲深いからもっといけたんじゃないかと思うことも多々ある。ここ数年、振り返ることをするたびに「目標が異常なスピードで達成されていく、それなのにも関わらずもっとできることはいっぱいあった!」と。
なんでそんなことが起きてるかというと、やっぱ自分は目標を口に出したい人間なんだなあと思う。各々の美学があるから、有言実行が一番いい!なんて言うつもりはないけど、対外的に口に出すことは、口に出したからにはという自分へのプレッシャーと、それを達成するための周囲の働きかけが起きるのは間違いないと思う。
最近、というよりは数年にわたって自分の中で真っ先に思う大きな目標としては「35歳で映像作品のピークを、40歳でライブ演出のピークを。」というのを置いている。
なんとなくずっと口に出しているので、特に何も考えなくてもその通りになるんだろうなあという気でいる。ただ、あと10年と15年かあなんて思うと意外と悠長にはしてられないぞと心が引き締まる。
短期的、と言っても3〜5年単位の目標ではあるが、色々と考えてはいる。まずは、ライブというアウトプットを大きく変えてみたいと思っている。映像作品と体験の延長線上にある新たな表現を探したいと思っている。具体的にはたとえばMVで張られた伏線を、ライブで回収するような。ライブを通して何か一つの大きいメッセージ性を組み込んだものが作りたい。
それから、やっぱり映像作家100人はどうしても意識はする。まだどれくらい離れているのかも実感できないほどに遠く感じるけど、そこに届くようにやり続けないといけないとは日々感じている。
それから、どうしても大学時代にやり残したこともある。自分がリーダーで、自分が発案をして、荒さの塊だったけど、多くの人間が周りにいて作った作品は、天候というどうしようもないもので公開すること自体が奪われてしまった。あの夏、全てを犠牲にしてくれた仲間に対して僕は何の恩返しもできていない。だからこれは遠い将来だけど、必ずいい形でまた作る。そのための土壌を作っている気すらする。

真面目に書いてしまったので、少しふざけた話を最後にしよう。
僕はたまに冗談で「将来の夢は40歳でさいたまスーパーアリーナで誕生日パーティがしたい」だなんて言う。もちろんこれは現実味のない話だけれども、まあそういうことを言ったのならば、30歳のバースデーイベントくらいやらないとなと最近思ってる。パーティの主催なんて疲れるし、そんなやるもんでもないと思ってるけど、その時に最高に仲が良くて最高にリスペクトできる人たちと何か面白いことがしたいな、なんて思ってる。

さて、思ったよりも早くきてしまった25歳。思ったよりも前に進めた気もするし、だけどどうしても焦燥感はある。それでも、走り続ければ今年もいろんな驚くことが起きる気がしている。いろんな成長があるのだと思う。
確かなことは今年も変わらずやり続けることに尽きる。今後ともよろしくお願いします。

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