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翻訳:凍頂茶隨談

この文章は私の鹿谷で仲良くさせていただいている「玉春茶坊」の林獻鎮 氏が2019年の春にfacebook上に掲載した随筆集です。凍頂烏龍や紅水烏龍、コンテスト。今の鹿谷の状況が生産者の立場からよく分かる文章だと思い、翻訳し、日本の茶友に紹介していいか許可を頂きました。


凍頂茶随談1~私達が作る「紅水凍頂」の正統性。
張瑞成技師と阮逸明博士の台湾茶博士の二人ともが伝統的な凍頂茶の特色は「水色が紅く、喉韻が強い」と指摘しています。
*以下は「茶芸」誌68期31ページ(阮逸明博士論述~紅水烏龍到清香烏龍)から転載しています。
凍頂茶の伝統的な製造法の特色は安渓鉄観音製法に由来するの布球揉捻にあります。伝統的な布球揉捻は全て手で揉捻し、繰り返し焙煎と揉捻を行い、茶葉は長時間(4~8時間)加温しつつ、揉捻します。茶葉の中の化学成分は複雑な熱化学変化を行い、茶水の色が赤くなり、喉韻が強くなります。伝統的な凍頂茶の紅色で韻が強く、煎が続き、長期貯蔵が可能な特色があります。
民国62年、政府は農村の建設を加速させるため、各主要茶区に茶生産専用区を設立し、茶の生産技術を改善するよう指導しました。当時は鹿谷郷も茶生産専門区に組み入れられました。政府は茶園栽培管理技術を積極的に指導して改良しました。茶製造技術講習を行い、青年茶農を育成し、茶園面積は年々拡大していました。民国65年に第1回の凍頂優良茶比賽を開催して、凍頂烏龍茶の知名度を高揚し、毎年のコンテストは茶区の一大イベントになりました。
青年茶農家は凍頂茶産業の新たな担い手となり、一時盛んに発展しました。当時、茶改良場の呉振鐸場長は凍頂茶の生産技術を改良し、元来、凍頂茶には包種茶の香り(花の香り)と鉄観音の喉韻が有ると表現されていましたが、凍頂茶の持つ滋味、喉韻、水色の紅い特色を水色は金色の鮮やかなものにするよう指導しました。水色が鮮やかで、香りが鼻をつき、まろやかで甘くて、豊かになりました。この清香の烏龍茶は愛好家に受け入れられ、市場の主流になりました。新興高山茶区も香りの高い凍頂茶の製法を導入し、台湾高山茶区も清香烏龍茶を主となりました。しかし、民国70年代にも鹿谷郷彰雅村の高齢の製茶師傅は伝統的な製法で、古い包揉と焙煎技術を守って伝統的な風味をつくりました。水色が赤みを帯びていることから「紅水烏龍」と呼ばれ、清香の烏龍と区別されました。量は少ないですが、「凍頂烏龍茶」の発展のために歴史の証人として残りました。
*以下、「台灣酵素茶的魅力」の130ページから転載します(張瑞成技師著)
「筆者が『凍頂烏龍茶』を初めて飲んだ印象は、紅茶のように茶水が赤く、香りが低く、滋味が甘く、喉韻がとても強くて、気持ちがさわやかでした、特に二斤(一斤あたり50元)を四角い形に紙で包まれた、その一斤を今まで残しています、その茶を飲む中で『凍頂烏龍茶』の魅力を感じました。」
上記の文にあるように、現代の凍頂風味の茶は茶葉改良場の元場長の呉振鐸氏から凍頂茶の産制技術を改良することを勧められたことに由来します。もともとの凍頂茶には包種茶の香り(花の香り)と鉄観音の喉韻を兼ねていましたが、指導によって凍頂茶は滋味の重さ、喉韻、水色が紅色を帯びていたものが、水色が変化し、金色の鮮やかで香りが鼻をつき、まろやかで、活性に富む、清香烏龍茶に変化しました。この基準を茶比賽の審査要件に組み入れ、市場の主流となりました。
私達の紅水凍頂は色が紅色で喉韻が強く回甘が長い民国60年代以前の土着の伝統的な凍頂茶の味を堅持しています。2008年と2009年の永隆鳳凰社區比賽茶の傳統組凍頂茶王獎を獲得しています。

凍頂茶隨談2~鹿谷郷の高級凍頂茶の比賽に、参加した茶の全てが鹿谷郷で作った凍頂茶なわけではありません。
鹿谷凍頂茶比賽はもともと四つの比賽がありました。主催者は鹿谷郷農会、凍頂茶生産合作社、永隆鳳凰凍頂社区及び鹿谷郷公所です。
鹿谷郷農会は民国65年から開催され、凍頂茶生産合作社は民国73年から開催され、永隆鳳凰社区は民国75年から開催されました。鹿谷郷公所の開催は短期間でした。
鹿谷農会の比賽はかつて凍頂茶葉生産合作社と鹿谷郷公所と共同で主催していました。その後、ブランドと販売の問題で、凍頂茶葉生産合作社は民国73年に独立して比賽を主催し、鹿谷郷公所も自ら茶試合を開催しました。しかし、郷公所の非営利部門は民国で82年後に比賽を中止しました。それから今まで鹿谷郷の茶比賽は三つです。
永隆鳳凰社区の茶比賽の成立は物語があります。民国65年鹿谷郷農会が第一回の比賽を開催しました。参加件数は104件でした。ところが、66年には永隆村の一部の茶農家が抗議したため、参加件数は78件に減っています。抗議の原因は凍頂、永隆、鳳凰の海抜が廣興、鹿谷などの村落よりも高くて、もともと原料の毛茶の価格も高かったのです。しかし、参加資格は同じで、比賽後の販売価格も同じです。永隆村の茶農は不服を生じ、民国75年に独立して比賽を主催し、高発酵高焙煎の凍頂茶の特色をアピールしました。
台湾の高山茶はまだ栽培されていないとき。鹿谷郷の比賽茶は鹿谷郷で生産されています。「高級凍頂茶」という名称でもありました。民国70年代に台湾中部地区の高山茶の栽培面積が次第に拡大し、一部の茶農家は高山茶で比賽参加しました。もともとは鹿谷茶区の茶で比賽に参加することが定められていましたが、主催単位が比賽の基準を国内で生産された、春や冬の烏龍茶と改変したので、現在の鹿谷郷の比賽茶は完全に鹿谷で生産されたものではありません。
私達玉春茶坊は民国99年には凍頂合作社と永隆鳳凰社區の特等獎を取り、その年の冬茶の凍頂合作社の特等獎を獲得し、一年に3つの特等賞を獲得しました。民国101年にも春に凍頂合作社、冬に凍頂合作社と永隆鳳凰社區の3つの特等獎を取った、年間3冠を2回達成した数少ない生産者です。

凍頂茶随談3~茶葉農薬残留事件を直視する
今日(2019年4月1日)は各局のテレビニュースが「韓国瑜茶農薬事件」(注:当時総統候補だった韓国瑜が台北市青果市場の総経理時代に中国へ輸出しようとした茶葉が残留農薬と産地以外の茶のブレンドが発覚してほとんど中国の検疫を通過できず、その商品を台湾で特売処理した問題)に対して強烈な疑問と批判をしています。台湾の茶葉農薬残留問題についてもお話しましょう。
子供の頃、私の家の茶は完全に有機茶で、元々の茶園は茶樹とサツマイモの混合式農園でした。当時のサツマイモは農薬を使わず、茶樹も農薬を使わなかったです。農薬の使用が一般的ではないし、低価格な商品に農薬を使うのはコストパフォーマンスが悪く、無駄な支出だったのです。
凍頂茶が台頭し、お茶の価格が上昇し、生産量を上げるために農民たちは農薬を使用し始めました。私の家も例外ではありませんでした。
民国60年代の茶農家は手押し式噴霧器の農薬タンクを背負って農薬を散布し、散布中の桶の外にあふれた農薬で、茶農家は全身農薬まみれになりながら、散布が終わった後に家に帰って入浴していました。農薬の安全管理の知識が足りず、茶農中毒で医者にかかることがあります。
農政機関の提唱を経て、茶農家の農薬の知識が高まり、政府は茶葉の検査に対しても次第に厳格になってきました。80年代になって、鹿谷郷の比賽茶は農薬の抜き取り検査を実施し始めました。そして、罰則を明らかにしました。茶農たちは農薬を使うことにもっと注意したため、凍頂茶の農薬残留問題の発生率はとても低いです。
鹿谷農会の茶農薬検定の規定は次の通りです。
「政府台湾の農産物追跡システムQR-codeに適合するため規定により、食品の安全衛生管理を強化する。本会の茶葉比賽では、無作為抽出で農薬の安全検査を行う。もしサンプルの検査結果が、農薬使用法や食品衛生管理法などの規定に違反してた場合、本会は政府の関連部門と法律に基づいて、処理を行います。また、この茶のすべてを廃棄し、またこの農家の台湾農産物の生産遡及証明書(QR-code)で提出された茶葉はすべて不合格で淘汰します、参加者のは異議は認めません。」
今日の農薬残留問題は輸出茶で発生しました。台湾の茶葉の輸出に関する農薬検査規定は「国対国」で取り決めたものです。私の家で輸出したときを例にとります、中国大陸と日本の農薬検査基準は違います。薬剤検査の最大の悩みは、野菜では合法的でも、茶に使すれば許可されない農薬がありますし、台湾は合法的でも、中国や日本で使用を許可していないものもあります。
茶葉の輸出に農薬の検査問題があります。輸出後、輸入国の税関で抜き取り検査が行われこのとき問題が発覚することが多いです。原因は台湾茶が小規模経営で、大量の輸出(韓国瑜事件の時は1万箱)の時に、同じ茶園をものだけを採用するのはほとんど不可能です。だから、普通は茶葉をブレンドしたり、或いは異なった茶園でそれぞれパッケージして輸出します。このため、農薬検査はサンプルが不安定な現象が発生します。
これは台湾の茶の輸出の共通の病気です。正視しなければなりません。

凍頂茶隨談4~凍頂茶の定義
1970年代から「凍頂茶」の名声が鹿谷から全台湾に伝わり、国際的にも有名になりました。最初の凍頂茶の定義は極めて明確です。鹿谷郷の凍頂茶区の茶葉を凍頂茶といいました。
1980年代後半、台湾の高山茶の産地が台湾中部の山間部をカバーし、産地の地名によって阿里山茶/杉林渓茶/玉山茶/梨山茶及び北寄りの雪覇茶/拉拉山茶があり、高収量で高価値の高山茶が圧倒的に市場を占め、凍頂茶の価値を低く評価されました。しかし、凍頂茶の評判と名声は相変わらず高いままです。原因は「凍頂茶比賽」です。
鹿谷郷農会/凍頂茶葉生産合作者/永隆鳳凰社区の三回の茶葉比賽を凍頂茶を称号とする以外に、多くの非鹿谷茶区の茶葉競技も「凍頂茶組」の比賽を編成しています。このような状況は凍頂茶の定義を拡大させました。
ですから、一番狭義の「凍頂茶」は鹿谷郷の「凍頂山」で生産された茶葉で、一般的には鹿谷郷の凍頂茶区から生産された茶葉で、広義の凍頂茶は凍頂茶の製造工程で生産された茶葉を凍頂茶といいます。広義の凍頂茶の代表的なのは鹿谷郷の高級凍頂茶比賽です。鹿谷郷の茶産地は鹿谷郷に限らないです。「国内で植えて生産された烏龍茶」であれば参加可能です。

凍頂茶隨談5~凍頂茶競技の影響力と伝統的な凍頂風味茶を合わせて語ります。
鹿谷凍頂茶比賽は四つの比賽があり、主催者は鹿谷郷農会、凍頂茶生産合作社、永隆鳳凰凍頂社区及び鹿谷郷公所でした。鹿谷郷公所の比賽が停止した後、現在は三つの比賽が行われています。
凍頂茶比賽の機能は「凍頂茶等級分け包装制度を作り、茶農家の収益を増やし、消費者が正しい定価の凍頂烏龍茶を購入できる。」(鹿谷郷農会)ことです
当初は「展示販売会」としていたのですが。比賽茶の価値は受賞の高低によって決まり、賞によって収入が違います。だから、茶農家は展示即売会をコンテスト(比賽)のように受け止めました。今に至っても、鹿谷郷の一番注目されている茶業活動です。
試合があると審査があります。「公平/公開/公正」の凍頂茶競技は審査過程が厳格で、茶農家に認められます。視覚/嗅覚と味覚で審査の審査を行い、各項目の条件はすべて客観的ですが、各審査員が等級を評価するのは主観的です。そのため、主催者は凍頂茶の特色によって審査基準を定めます。
鹿谷農会の茶比賽を例にします。
「コンテスト基準の季節に製茶された凍頂烏龍茶を基準として、審査過程で検査では茶を淹れ、葉ガラも審査します、茶枝が長すぎるものは、製茶機械に擠壓工法を使用した(注:製茶に豆腐機を使用した)疑いで減点し、等級を降格します。評価の配分は、香味(香氣;滋味):50%。 外觀 (形狀;色澤):20%。 葉底 ︰10%。水色(茶湯)︰20%。です」
基準はありますが、まだ多くの非具体的な部分があり、審査員は主観的だと判定します。比賽茶は茶農家の製茶方法に影響するほか、茶市場の動向にも影響します。受賞した茶農家は審査員の好みに合わせてお茶を作るため、「比賽茶の風味」は自然に茶市場の凍頂茶の風味となります。
凍頂茶隨談1で書いたように、張瑞成技師と阮逸明博士の二人の台湾のお茶博士は伝統的な凍頂茶の特色は「水色の赤く喉韻が強い」と指摘しています。1976年に鹿谷農会が開催したお茶コンテストから、凍頂茶の風味はオリジナルの特色を失い、水色は黄金色になりました。
凍頂茶の元来の特色を伝承し、凍頂茶区の茶農家の収益を維持するために、永隆鳳凰社区は2007年の冬に「伝統組」を増設し、茶比賽を提供し、伝統的な凍頂茶の風味が好きな老茶人達に味わい深い昔の味を提供し、鹿谷郷で伝統的な凍頂風味茶の生産が再開されました。
私達(玉春茶坊/挑茶驛站)は、看板茶の「紅水凍頂」で参加し2008年と2009年の二度、第一位の「凍頂茶王獎」を受賞しました。「紅水凍頂」は完全に古典製法を採用して製茶し、茶水は赤く、喉韻は強いです。2008年の授賞時、主審の郭寛福の場長は自分の手を握って祝賀してくれました「林先生、おめでとうございます。凍頂茶王賞はとても美味しいです。こんなに美味しいお茶は初めて飲みました。」私は一生産制の伝統を堅持し、主審の肯定を得て、心が励まされ光栄を深く感じました。
残念なことに「紅水凍頂」は2010年の出場時に淘汰されました。2011年の試合前に主催者がわざわざ伝言してくれました。「一部の茶農家は伝統の凍頂風味の特色に疑問を持っていますので、水色の赤い喉韻の強いお茶を出品しないでください。」
今のお茶農家の大部分は民国の六十年代以降に生まれた青壮年世代の茶農家です。これらのお茶農家は伝統的な凍頂茶を生産していません。伝統的な凍頂茶を味わったことがありません。彼らの作る風味は普通の高山茶と似ていますので、消費者は受け入れにくいです。2013年に伝統組の比賽の募集が中止されました。「伝統組」は中止されて、伝統的な凍頂茶の継続が再度中断されました。これは本当に残念なことです。
今は本場の「伝統風味凍頂茶」を味わうのがますます難しくなりました。でも、伝統的な凍頂茶を続けることを使命として、伝統的な凍頂風味の「紅水凍頂」を永遠に産み続けたいと私は思っています。

凍頂茶隨談6~凍頂茶比賽茶は「負(マイナス)価値産業」
鹿谷郷には三つの凍頂茶比賽があります。主催者はそれぞれ鹿谷郷農会、凍頂茶生産合作社、永隆鳳凰凍頂社区です。この三つの茶比賽は全部「負(マイナス)の価値産業」です。
鹿谷郷農会は全国最大規模の茶葉比賽で、春冬の2シーズンに各約7000件が参加し、凍頂合作社は約4000件、隆鳳社区は約1000件あります。その中で鹿谷農会の比賽の茶が一番売れて、価格も一番高いです。
鹿谷郷比賽茶は多くの人に開放されています。規定によって台湾で生産された烏龍茶は会員の名義であれば参加できます。これらの参加したお茶は必ず茶の枝を除いて老葉をふるいにかけて参加します。載荷する茶の材料によってコストが違います。鹿谷郷の杉林渓高山茶を例にすると、毛茶のコストは1台斤当たり1300~2500元で、間を取ってて1500元程度かそれ以上です。精製された後に、出品できる22台斤の競技茶を作るためにはは30斤以上の毛茶が必要です。毛茶は1斤1500元で、30斤で45000元、お茶の枝を取る料金(コンピュータで枝を拾う)は1500元で、申請料は2000元で、合計は48500元で、20斤を受け取って販売します。平均的に一台斤のコストは2425元です。
鹿谷鄉農會107年の春季比賽茶的クラス分け結果 :
出品総件数6707件
頭等 141件(比率2.12%)/ニ等387件(比率5.77%)/參等515件(比率7.67%)/三梅1047件(比率15.67%)/ 二梅1588件(比率23.67%)/淘汰3029件(比率45.16%)
(鹿谷郷農会のウェブサイトから転載すると)
比賽茶の價格(1台斤)
頭等10000元,貳等4500元,參等3000元,三梅2500元,二梅2000元,
淘汰は1件(22台斤)で約16000元。
6700件の総販売額は約2800万+3420万+3000万+5250万+6320万+4800万=25590万元
生産原価48500元☓6700件=32495万元
(生産原価)32495萬¬(販売総額)25590萬=-6905萬元
これは市場価格を概算したもので、生産原価ー販売総額の結果は「マイナス値」となります。数字から判断すると、二梅以下の部分は「マイナス値」で、全体の68.5%を占めます。つまり7割が損をしている計算になります。
このような賭博のような行為は数十年続いて、しかも参加の件数は年々上昇しています。三回の茶比賽の中で鹿谷農会の価格が一番高いです。他の二回はもっとひどい有様です。
比賽茶の目的は「凍頂茶等級分け包装制度を作り、茶農家の収益を増やし、消費者が正しい定価の凍頂烏龍茶を購入できる。」です。どのようにすれば比賽茶の「マイナスの価値」を「プラスの価値」に変えて茶農家の収益を増やせるのでしょうか?関係機関に深く研究してもらいたいです。

凍頂茶隨談7~凍頂茶で賞を取る「秘訣」
実は、比賽茶の大賞を取る「秘訣」はありません。
しかし、比賽茶の大賞には三つの条件が必要です。
1.良いお茶
2.良い仕事
3.良い運気
この3つの条件以外にも、「噂を信じない」ということもあります。
筆者は2008年から2016年まで全部で9回のトップの賞を獲得したことがありますが、受賞した部門は凍頂茶葉合作社と永隆鳳凰社区だけで、鹿谷郷農会の特賞を獲得したことがありません。筆者は自分が非常に幸運であると自認しています。
1976年に鹿谷郷農会が第一回の凍頂茶の試合を行いました。私は今まで参加しなかったことはありません。参加件数は多くないですが、毎年参加して豊富な経験を積んでいます。筆者個人の凍頂茶比賽の心得です。
2002年まで筆者は小学校の先生を務めていましたが、2002年に退職し、台湾日報の記者に転任し、竹山鹿谷地区の新聞取材を担当していました。先生/記者と兼業で比賽に参加しようと忙しく、参加件数は限られ、製茶の過程も比較的に粗雑でした。2006年6月の台湾日報は休刊しました。それからは全力で茶業を経営しました。その年の冬茶は永隆鳳凰社区の頭等一賞を獲得しました。あと一歩で特等賞を逃したのは残念ですが。自信ができました。
多くな賞を得られたとき、記者の仕事に感謝しました。竹山鹿谷はすべて茶区で、お茶のイベントが多いです。規模に関係なく、いつも積極的に参加して、データを入手して報道していました。特に春冬の二シーズンのお茶の比賽は、詳細で深い報道をするために、審査の過程から展示会の授賞活動まで、綿密にデータを集めて、よく分析して。この茶比賽の特色を書きました。記者の間、毎回の特等賞茶を飲んだことがあります。主審のお茶コンテストに対する講評も聞きました。その中から受賞茶の特徴を知りました。
2007年には再度永隆鳳凰社区の頭等一賞をとり、同時に鹿谷農会の頭等七賞をとり、2008年には鹿谷農会の頭等ニ賞、その冬に最初の特等賞(第一位)を永隆鳳凰社区の傳統組凍頂茶王獎で獲得しました。2009年春には凍頂合作社の頭等ニ賞と冬に永隆鳳凰社区の傳統組凍頂茶王獎を二連覇しました、2010年には更に栄誉なことに、永隆鳳凰社區特等賞と頭等一賞を受賞し、凍頂合作社の烏龍組の特等賞を受賞しました。その年の冬には凍頂合作社の特等獎と頭等一賞を受賞しました。
民国99年には凍頂合作社と永隆鳳凰社區の特等獎を取り、その年の冬茶の凍頂合作社の特等獎を獲得し、一年に3つの特等賞を獲得しました。民国101年にも春に凍頂合作社、冬に凍頂合作社と永隆鳳凰社區の3つの特等獎を取った、年間3冠を2回達成した数少ない生産者です。その年の授賞式、後ろから誰かが叫んでいるのがかすかにヤジが聞こえました。「☓!林先生が賞をとってよかったですね!」連続受賞で同業者にねたまれました!同じ年に3つの特等賞を受賞した幸運が2012年にもう一度おこりました!
うわさに耳を貸さないでください。2012年の茶比賽の前に同業者が冗談を言っています。「永隆鳳凰社区の主審は林金池秘書に変更された、林秘書は軽火茶が好きで、重火の好きな前の主審の郭寛福場長と違って林先生は受賞が難しいだろう。」しかし、その年も筆者は勝手に自分の作りたい茶を作って、春には頭等賞を受賞し、冬には特等賞を受賞しました。表彰の時、その同業者は「林先生、すごいですね。誰が主審になっても特等賞がとれるなんて。」と賛辞を述べてくれました。
筆者も万能の神様のような存在ではありません、2016年の春季永隆鳳凰社区の主審に陳国任場長が任命され、幸運にも私は三回目の永隆鳳凰社区の「凍頂茶王賞」を獲得しました。賞を受賞した時、みんなで一緒にお茶を飲みました。そこでわかったのは陳場長は重い火加減を高評価するということです。凍頂合作社は永隆鳳凰社区で賞がきまってからお茶を出品します。私は影響を受けて、すでに焙煎したお茶に火を加えて送りました。凍頂合作社の主審も陳国任場長だからです。
凍頂合作社は上位7名の順位を決める最終審査で、必ず茶壺を使って淹れてから決めます。小壺茶で審査した後、陳場長が立ち上がって、元の特等茶王賞を特等伍賞に降格させました、この特等伍賞を受賞したのは私の息子の林偉信です。偉信は後に場長にどうしてそうなったのか教えを請うと、工場長は茶壺に湯を入れる時、火味がちょっと強かったと言ったそうです。早とちりして余計なことをしてしまい。かなり深いダメージを負ってしまいました。昔から今まで良いお茶の条件は宋徽宗が大観茶論で「甘/香/重/滑」と言いました。この四つの字はつまり凍頂茶が受賞する「秘訣」で、「とても甘く・とても香り・とても濃く・とてもスムース(很甘/很香/很濃/很順口)」です。
凍頂茶隨談8~凍頂茶比賽のこぼれ話篇
試合があれば勝ち負けがあり、勝ち負けがあれば不満があります。凍頂茶比賽も同じです。茶の比賽の成績が発表されました。大賞を獲得したお茶農家は審査の腕前がすごいと満足しています。一方、淘汰された茶農は不平不満を漏らし、審査員の審査能力が足りないと批判する者もいる。また、ある人は審査不公正を疑っています。努力に見合わない結果に耐えられない茶農は呪いの言葉を吐いたり、茶農が茶を受け取るときに茶葉を上から投げつけました。1982年には、ある農家が。鹿谷農会総幹事の林光演さんの車にペンキをぶちまけ鬱憤のはけ口にしました。
鹿谷のある茶比賽では特等賞を受賞した茶農が審査員と親しくしたため、カンニングを疑われ、主催者に審査員を変えてもらうように意見が提出されました。筆者は何度も大賞を受賞していますが、授賞時に悪口を言った人がいます。「☓!林先生が賞をとってよかったですね!」原審の郭寛福場長との交友が厚いと疑われたそうです。本当に悔しいです。私は郭場長のお宅に行ったことがありません。郭場長も私の家に来たことがありません。台湾日報の記者を務めていた時、よくお茶の活動の時に郭場長と会っていました。私はいつも機会を利用して教えを請い、知識を増進する一方で、記事の内容をもっと深くさせようとしました。また、私の家のお茶は特等賞だと林金池秘書と陳国任場長にも審査されました。お二人共、私達との交流はもっと少ないです。
鹿谷郷茶比賽の審査を担当する側のプレッシャーは大きいです。比賽に参加したお茶はすべて茶の農民の精選した良いお茶なので、千を数える良いお茶の中で等級を評定する難易度はとても高くて、いつも誤審査する情況が発生します。同ロットの茶葉が同じ比賽で評価が分かれる現象が出るのが普通ですが、茶農の成績に対する反応は「マイナス評価」が「プラス評価」より激しいです。
ある時、比賽茶を受け取った時、親友に会いました。彼は怒りながら「くそう、でたらめだ!同じロットの茶を6つ出品して、頭等から淘汰まで6種類に分かれていた!」と私は冗談めかしてこう答えました。「怒らないでください、あなたの淘汰茶が頭等賞をもらうことができたじゃないか。本当に幸運じゃないか」と。
鹿谷郷凍頂茶比賽の「公平/公正/公開」は間違いないです。政府の官吏と茶農家の関係が密接にするのは当然です!役人はいつもお茶と農業の付き合いがあってこそ、お茶の経営の実像と需要を知ることができます。良い茶を作るために、官吏に「産制販売」の技術と方向を実情に沿った提案をさせてこそ茶業界が盛んに発展します。
2019年春の凍頂茶の比賽がもうすぐ来ます。審査は絶対に「公平/公正/公開」!皆さん、頑張りましょう。

凍頂茶隨談9~凍頂茶への寒風苦雨の外来茶篇
凍頂茶は没落しました!高山茶の風靡と外来茶の衝撃が原因です。
二十数年前に台湾の茶市場で大量の輸入烏龍茶が現れ始めました。主にベトナムと中国大陸から来たものです。人手が安く生産量が膨大なため、この両地の茶葉の価格は安く、凍頂茶は空前の衝撃を受けました。一部の茶園では、廃耕したり、野菜の栽培に転向したり、他の地域に出ていって茶業を継続したり、リゾート地として土地を外地の人に売ってしまう人もいます。
台湾区制茶工業公会が発表したデータによると、ベトナムから輸入した烏龍茶は毎月約3~5百トンで、中国大陸は比較的少ないです。これらの茶葉の一部分は飲料の原料となり、一部は一般茶市場に投入して、鹿谷郷の比賽茶に混入した事例もあります。
鹿谷郷比賽茶が外来茶の侵入を受けいるのは秘密ではないです。主催者は積極的に取り締まりますが、参加した外来茶の品種は台湾と同じもので、生産過程も近く、茶の風味にも似ています。試合中に外来茶を除外するのは難しいです。暴利を得ようとする者のせいでに状況が日増しに深刻になっています。
比賽茶中でベトナムの茶の品質は比較的悪く、茶商が入選だけを求めて参加するケースが多いです、一方、大陸の茶は茶商が一心に精製すれば、品質は台湾茶と相当して、頻繁に上位の賞を獲得しています、このような正常でない現象は深刻に市場に打撃を与え、台湾茶の農業の利益が損なうだけではなくて、消費者も外来茶を買ってしまうのではと不安を持ち安心して購入できない状況です。
外来茶は合法的に輸入されています。国際貿易互恵原則の下で輸入台湾茶を阻止できません。外来茶が茶葉比賽に参加するち、規則に違反しているため淘汰になるだけで、罰則もないので、抵抗しにくいです。今は台湾の茶農家を励まして、産制技術の研究と開発に励むしかないです。外来茶を正面撃破しか方法はありません!
108年春季の茶比賽はもうすぐです。みなさん頑張ってください。

凍頂茶隨談10~凍頂茶外來茶篇2
前の文では外来茶の比賽茶への侵入について述べました。筆者は産制技術の研究開発に努力して、外来茶と茶農を打ち破り、共に努力しようと書きましたが、一方、関連機関がハイテク検査技術で外来茶を除外する技術の開発も期待しています。
審査員が誤審してお茶農家に深刻な損失をもたらしたこともあります。民国94年春、筆者は台湾日報で竹山鹿谷地区新聞の取材を担当していました。ある時、茶の比賽は二段階目の審査に入りました。筆者は黄姓の主管のもとで審査会場に入り、その年の比賽茶のレベルを取材していました。その時邱姓の専門家が彼の審査を終えてから審査の心得を知らせに来ました。「主審!大陸茶はどう判断したか分かりました!」現場の人が次から次へと目を上げてみました。「茶葉が若くて長いのです。全部同じ老師傅が焙煎したものです、台湾のお茶はそんな芽摘みをする人はいません。」「さあ!さあ!全部出して確認してみましょう」と言い、スタッフは審査台の上のお茶を逆さにして、邱姓の専門家は一つまみのお茶を両手で引っ張ります「見てください。これです。」といいました。現場の三人の審査員と一緒に検査して、まもなく、数十件を探し出しました。「疑わしきは罰せよ!全部DNA検査に送りましょう。たとえ誤殺しても大陸茶を侵入させてはいけません」ええっ!心の底から震えました。その年の春は雨が多く、標高の高い茶葉が長く柔らかくなっていたのをしっていたからです。その年の4月16日のことを覚えています。私は妻と一緒に例によって梅山郷樟樹湖に行って、契約茶農家の羅さんの茶園を確認してみました。大坳の茶畑に入ると、緑に油ひかりした長くて柔らかい茶葉が風に揺れています。「こんなに柔らかい状況で摘まないでください。二日間してからまた摘みましょう。」というと「今年は雨が多くて、茶の葉が芽を出すのが速くて、止められません。あと二日間くらいでは状況は同じです。」「心芽が対口に開くてこそ、お茶の香りがするんです!」と私が言っても、「無理です!待てません善し悪しは製茶次第!でしょ!」羅さんはお茶を摘みながら応えました。
その年の筆者の茶は焙煎後、香りと甘さを表現でき、一儲けできると思いました。淘汰されたお茶の葉を一つ目の前に見て、胸が締め付けられましたが、主催者の規則を守るために、口を出して干渉することができませんでした。この時黄姓の主管者は筆者の耳元で言います。「DNA検査の結果が来たら、最初にデータを報告しますよ」ところが、展示会が終わってもDNA検査は情報が来ません。黄主管に聞いてみたら、検査は無駄だったようです。
二日間の茶比賽の成績が発表されました。
筆者の茶は14件が淘汰され!その中の11件は樟樹湖と大坳のお茶です。この茶の逸話は、知っている人は多くないです。事件からもう十数年過ぎました。改めて指摘したいのは、審査のチェックを確実にしてほしいということです。推測で決定すると冒険は免れないです。
外来茶も排除できないわけではありません。
ここ数年、お茶の比賽で置きたことですが。農薬の検査の時、茶の農薬が大陸産であることが分かりました。規定に違反したお茶を淘汰して廃棄するので、主催者は茶農の同意を得て、同じQR-CODEで出品したお茶は全て淘汰となりました。
市場も外来茶に抵抗します。
ある茶の比賽である等級のお茶は大陸茶だという風聞が出ると、それをきいた消費者は、あえてそれを買いませんし、そのような茶は販売しないようにします。どんなお茶で参加するかは個人の権利です「台湾産の烏龍茶で、会員の名義であれば参加できます。」と明文化され規定していますが、外来茶かどうかは検査できません。台湾の茶農の権益を守る、ハイテク検査技術の開発を期待しています。
108年の春の茶比賽がやってきました。お茶農家は腕を競ってラストスパートする時期です。頑張りましょう。

凍頂茶隨談11~凍頂茶の比賽ルールへの疑問
凍頂競技のお茶の品質を確実に維持するために、各主催者は「競技茶の実施方法」を詳細に定めていますが、筆者は一部のルールについてはまだ検討が必要だと思います。例えば鹿谷農会の実施方法内の
第一項:政府台湾の農産物追跡システムQR-codeに適合していること、加えて食品安全衛生管理を強化する。本会のの展示販売会では、無作為抽出による農薬の安全検査をおこなう。もしサンプルの検査結果が、農薬使用法や食品衛生管理法などの規定に違反した場合、本会は政府の関連部門と法律に基づいて対処します。そして、この茶全数を廃棄とし、同種の農家の台湾農産物生産遡及証明書(QR-code)を提出した。全ての評価は不合格の淘汰とします、出品者が異議を唱える事はできません。
第二項:審査基準:春季に製茶された凍頂烏龍茶を基準にして、審査過程では、茶を淹れ、その茶殻を見て、茶枝が長すぎるものは、製茶機械に擠壓工法を使用した(注:製茶に豆腐機を使用した)疑いで減点し、等級を降格します。葉と芽と柔らかい枝がつながっているのが正常な状態です。
第一項には「同じ農家の台湾の農産物の生産はバーコードを遡って納められたお茶の葉は、いずれも不合格としに淘汰されます。」と明記されています。QRコードは、農民は一枚しか申請できません。農民は同じQRコードを使って出品した茶は必ずしも同じ茶ではありません。
薬の検査が失敗したら淘汰されます。他のものは全部淘汰されます。は一罰百戒の見せしめに見えます。同一のQRの茶葉は検査に送ります。もし検査を通れば元の等級を維持できて、合格しなければ淘汰して廃棄します。茶農を復活させる機会を与えるべきです。
第二項の「茶枝が長すぎるものは、製茶機械に擠壓工法を使用した(注:製茶に豆腐機を使用した)疑いで減点し、等級を降格します」
台湾は人手が足りなくて、茶摘み工の茶摘みは茶葉は長くなる傾向があります。また、製茶過程では、押出式工法を使って外観を完成することが多いです。ベトナムと中国大陸のように人的資源がが豊かで、給料も安い場合は、茶摘み工の摘んだ茶葉は柔らかくて、長さもバランスが取れています。淹れた後、茶の枝は現れません。また、大陸では擠壓工法が禁止されています。だからこの問題はありません。この二つは大陸茶を利する結果になり。台湾茶にとっては損な罰則になることを保証します。
主催者は心を込めて比賽茶の品質と茶農家の権益を守っていて。感謝するべきものですが、この二つの規定はは変更が必要ではないでしょうか?主催側には再検討してほしいです。
最近、私は何回かに分けて凍頂茶の話をしましたが、その中の大部分は何人かの古参の茶農家と懇談した、共通の心の声です。みんなは筆者が代表して発言することを提案します。必ずしも正面反応があるとは限りませんが、これを書いたのは一種の希望の現れです。
108年春の茶比賽のラストスパートを告げる銅鑼が鳴っています。皆さん、頑張りましょう!!

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