悲喜劇

港区南青山という所へ出かけた。思っていたより用事が早く済んだので、カフェで冷たいドリンクを頼んだ。なにしろ気温35度などという殺人的な暑さだ。あたためられた気体は軽くなって上昇すると学校で習ったが、都内の空気は熱を帯びても、ねっとりとアスファルトにへばりついている。

ポンコツ車のラジエーターのように蒸気を吹き上げている体を、アイスコーヒーでだましだまし冷やしていると、横っ面に妙な気配を感じた。
隣のテーブルの女性が、一瞬うろたえた様子を見せたかと思うと、ちらちらと妙な視線を送ってよこしているのだ。どこかの会社の制服を着ている。お使いにでも行った帰りに、ちょっと一服しているわけなのだろう。

それにしてもなんなんだ。
もちろん、ぼくには若い女性に知り合いはいない。
逆ナンか? まさかね。どきどきするイメージが浮かびかけるのを、いかにそれが非現実的なことか、自分に言い聞かせて抑えた。
こういうときは、気にしないようにしたらいいのか、それとも気にするべきなのか、とまどっているうちに、彼女が滑らかな動きで、ぼくのテーブルに近い方の椅子に移ってきて、「あのう」とささやきかけてきた。
声が裏返らないように注意しながら答える。
「なんでしょう」
彼女はなにげなく立ち上がりながら、伝票を取り上げる動きに紛らせてぼくの耳元に口を寄せた。

「失礼」

その目は、ぼくの頭を見ていた。

「ズレてますよ」


ドライアイスの固まりを背中に突っ込まれたような感覚に身をこわばらせながら、ぼくは、とうとうこのときがきてしまった・・・・・・と、それしか考えられないでいた。

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