同窓会へ行かなかった人

 佐古田はもう時間以上も稲毛の街をさまよっていた。
 集合時間はとっくに過ぎている。どうせ同窓会だ、少し遅れたくらいで消えてしまうものではない。けれど、「呼ばれたから来たさ。でも本当は気乗りしないんです」というポーズを取ってみせたいがために遅れてくる屈折した幼児性タイプの人間には、どちらかというと共感を持てない佐古田だったから、遅刻は本意ではなかった。
 しかし会場の『潮銘館』という店はいっこうに見つからない。高齢期に突っ込んだ足には、いささか歩きが辛くなってきた。
 くそ。どうして案内状を忘れたりなんかしたんだろう────
 佐古田は不機嫌につぶやいた。ただ、それは自分の迂闊さより、自分をこんなに疲れさせている稲毛という街に対する腹立ちが大きかった。高齢者はまず「何か問題が起こったら自分以外の人のせい」という前提で物事を捉えるのである。
 40年ぶりとはいえ、稲毛は生まれた街で、大学を卒業するまで暮らした場所だ。なにより、『潮銘館』という名称には、なんとなく覚えがあった。案内状を忘れたことは家を出てすぐ気がついたのだが、戻るのが面倒だったし、行けばわかるだろうと考えた。
 何事も「自分ならうまくやれる」前提で行動を組み立てるのも高齢者の特徴である。
 神奈川県の西部から、私鉄と地下鉄とJRを乗り継ぎ乗り継ぎ、時間近い小旅行の末に到着した稲毛は、年末特有の浮き足だった賑やかさにあふれていた。そして、記憶になにひとつ当てはまる風景がないほど、すっかり様変わりしていた。
 ・・・・・・駅が高架式のホームになっているのには驚いたな。
 佐古田の知っている稲毛駅は地上式で、ホームから東口に出るには跨線橋を渡る必要があった。
 東口を出ですぐの風景も、まるで初めて来た土地を眺めているようだった。右側にあったはずの銀行や文房具店、喫茶店などがいっさいなくなっていて、ファミリーレストランの『ココス』、パン屋の『サンジェルマン』、パチンコ屋に替わっている。
 左側にあったタクシー会社のモータープールも、大きな餃子が名物だった中華料理屋もない。コンビニや居酒屋、『ミスタードーナツ』になっていた。『西友』もない。『天神家具』もない。
 
 そうだ、と佐古田は思いつく。ネットで調べればいいのではないか? こんな時のためにあるのがスマホだろう。
 背広の内ポケットからスマートホンを取り出す。つい最近、ガラケーから替えたばかりだ。おぼつかない手つきで画面ロックを解除し、液晶画面を睨みつける。
 ・・・・・・ネットか。さて、ネットは。
 いくら探しても、ネットというアプリはなかった。これだからスマホは使いにくいのだ。腹を立てかけた時、次のアイデアが脳裏に浮かんできた。
 ・・・・・・幹事に電話すれば万事解決ではないか。
 素晴らしい手を考えついたことに悦に入りながら電話帳アプリを開いた直後、佐古田の喉から「ぐっ」というような音が漏れた。住所録データが入っているのは前のガラケーだったのだ。移行する方法がわからず、スマートホンには手入力で入れたかかりつけの病院や地域包括支援センター、宅配弁当会社など数件の番号が登録されているだけに過ぎなかった。
 ・・・・・・役に立たない道具だ。
 
 参加者が高齢のため、集合時間は早めに設定されていたが、その時刻はとうに過ぎ、日は落ちた。にも関わらず、見知らぬ夜の住宅街を闇雲に歩き回り続けた。自分ほどの優秀な人間ならば、必ず目的地に辿り着けるはずという自信が揺らぐことはなかった。自信というより執念と呼ぶ方が正しい心情だったが、それが何かを引き寄せたのか、偶然、見覚えのある場所に出た。さっき通ったばかりの、駅へ至る道だった。
 ・・・・・・さすがに疲れた。もう帰るか。
 そろそろ膝が痛くなってくる頃合いだ。佐古田はこのまま駅へ向かうことにした。
 同窓会など、どうでもよくなっていた。いや、違う。同窓会は開かれていない。自分はふと思い立って、自分の生まれ育った稲毛に来てみたくなったから来た。それだけだ。
 いくつかの角を曲がり、駅前に出る。そのとき、反対側から駅の入口に向かってきた高齢者と目が合った。相手は二度見して、眉を寄せる。
「あんた、もしかして佐古田じゃないか。おれだよ、おれおれ」
 ・・・・・・誰だ、このジジイは。
 まるっきり覚えがなかったが、相手が自分を佐古田と名で呼ぶからには、知り合いなのだろう。佐古田は話を合わせることにした。
「うむ。おう、おまえか」
「わはは。すぐに佐古田とわかったぞ。老けたが、変わってないな」
 相手は一目で入れ歯とわかる歯をむき出して笑い、馴れ馴れしく肩の辺りをぼんぼん叩いてくる。
「そっちもな」
「それよりおまえ、今日の同窓会、なんで来なかった?」
「同窓会?」
 なるほど、この男は同窓会に出席したのか。ということは、自分と同じクラスだったのだろうが・・・・・・。
 いくら頭を振り絞っても、この男が誰なのかいっこうに思い出せない。というより、同級生たちの顔が一人たりとも記憶にないことに、いまになって気づいた。
「同窓会だったとは知らんな」
「はぁ? 知らない? そんなはずはないだろう」
 相手は目を丸くして、耳障りなほど裏返った声を発した。「それならなんで稲毛にいるんだよ。同窓会に参加するために神奈川から来たんじゃないのか」
 ・・・・・・なぜ知っている。
 自分の住んでいる県を言い当てられ、佐古田は警戒心を最高レベルにまで高めた。
「そんなはずはないとは、なぜそう言えるのかね」
「案内ハガキの宛名書きを手伝ったからだよ。おまえに出した案内ハガキの宛名は、おれが書いたんだ」
 自分を指差しながら、相手は胸を張った。「神奈川のなんとか郡っていう西のはずれの町だろ。聞いたことがない地名だったから、地図で見てみたりしたから覚えてるんだ。宛先不明で戻ってきてはいないから、そっちには届いているはずだ」
「いや、受け取っていないな」
 佐古田はあくまでそう言い張り、シラを切った。
「ホントかよ」
 相手は顔を顰め、首を捻った。そんな妖怪じみた様子を眺めながら、佐古田はこの男の名前はなんなのだろうと思った。さっきから自分のことを「おれ」としか言わないから、ヒント一つ掴めない。
 もしかしたら「オレ」という名なのかもしれない。佐古田は思いきって聞いてみることにした。
「あんたは、オレか?」
「・・・・・・なに?」
 相手はさらに顔を顰めたので、顔中が皺だらけになった。
 どうやら違うようだな。佐古田は別の質問を投げかけた。
「ところで、同窓会はどうだったのかね」
「ああ、盛り上がってるさ。ずいぶん久し振りだったからな。おれは用事があるから途中で抜けてきたんだが、後ろ髪を引かれる思いだったよ。そうだ、佐古田、いまからでも顔を出したらどうだ」
「どこに?」
「どこにじゃねえよ。同窓会だよ。そこの居酒屋でやってるから」
 そう言って相手は後ろを振り向き、『火花の乱舞』という大きな看板を指差した。今度は佐古田が首を捻った。
「『潮銘館』ではなかったか?」
 佐古田が独り言ちると、相手はげらげら笑い始めた。
「潮銘館だよ。他にあるか」
「しかし『火花の乱舞』と・・・・・・」
「だから『火花の乱舞』で潮銘館高校の同窓会をやってるんだよ。まさか中学や小学校の同窓会と勘違いしてたんじゃねえだろうな」
 潮銘館高校だと?
「・・・・・・いや」
「楽しんで来いよ。じゃあな」
 相手は軽く片手を上げ、笑いながら改札口へ向かっていく。佐古田は立ち尽くし、その背中を見送りながら、「いつ校名を変えたのだ」と考えていた。「自分は間違っていない」と決めつけてから問題を検討するのも高齢者の特徴なのである。

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