わが教訓のステンドグラス

ぼくが飯田橋にある大学に通っていた頃の話だ。
広義で必要な本でも探しに行ったのかどうだったか、同学年の女の子とふたりで、御茶ノ水の書店街を歩いていた。

御茶ノ水といえば、ということでニコライ堂の話題になり、教会というスピリチュアルな空間には、なにかいつも忘れている自分を思い出せるような雰囲気があって好きだ、みたいなことを彼女が言った。
彼女はキリスト教文化に強い憧れを抱いていて、確か数年後就職してから実際にヨーロッパの古都を何度か訪ねたらしい。お金に余裕があるのは結構なことである。

「あのステンドグラス越しに降ってくる光って幻想的でホントに素敵だよね」
「ふうん。ところでそういえば」と、ぼくはふと思いついて話を継ぐ。「ステンドグラスって、どうやってできたものか、知ってるかい?」
「えぇ・・・・・・そんなの知らない。どうしてできたの?」
「あー、中世ヨーロッパに」ぼくは少しもったいぶった口調で話し始めた。「フィレンツェという都市国家があった。現在のイタリアの中部、トスカーナ地方の首都だね」
「うん」
「そのフィレンツェで、新しく教会を建設することになった。ヨーロッパでいちばんの立派な教会にしようということで、貴族を中心に有力者が集まり、さまざまなプランを出し合った。そのなかで、教会に大きな1枚ガラスを使おうという案もあったんだ」
「ガラス?」
「そう。当時は、安定した品質のガラスをつくる技術が未熟だったから、面積の大きいガラスは、たいへんな高級品だったわけ」
「ああ、なるほどねー。それでガラスか」

「フィレンツェでナンバー・ワンのガラス職人に、『これまでにない、美しくて大きい、丈夫なガラスをつくれ』と発注された。職人は悩んだね。注文されたような大きなガラスはつくったことがない。もちろん世界でも類がないから、文献を取り寄せて参考にすることもできないわけだ」
「で、どうしたの?」
「悩んでいてもしょうがないから、試行錯誤するつもりでつくりはじめたさ。ガラスの透明度を高くしたり、強度を上げたりする成分を加えてね」
「へえ」

「ところが、完成したガラスを窯から引き出してみると、たぶん弟子の誰かが、配合する成分を間違えたんだろう、とんでもなく色ムラだらけの、よくいえばカラフルな、奇天烈そのもののガラスができあがっていたんだ」
「あらあ。たいへん」
「『ダメだ! この役立たずたちめ!』職人は弟子を怒鳴った。『やり直し! こんなガラス、捨てんど!』って、それでステンドグラス」

「・・・・・・」
女の子はしばし目が点になっていたが、我に返ったとたん、いやあ、怒った怒った。
「なによそれ! まじめに聞いていたのに!」
般若のような目で睨まれたな。あれは恐かった。

前振りが長いわりにはオチがつまらないジョークは、しばしば人を怒らせる、その典型的な例と言えよう。

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