私がただ許せないだけの話
本当は、noteを更新するつもりはもうなくて、別のブログを立ち上げようとしている最中なのですが、今回書くことはとても大きい負の感情なので、2021年の遺産としてnoteに置いておこうという次第です。
今回の内容は私が昨年一番怒ったこと、というか、人生でも指折りの怒りの話ですが、人によっては、内容を読んだとてなぜ私が怒っているのかわからないという人もいるかもしれません。(後述します。)
私の常識が世間の常識ではないことは百も承知で、つまりは相手の常識ですらないということも承知しています。その上で、私は怒っていて、ずっと許すことはないだろう、ということです。理解できないかたは、こいつは度量の狭いやつだなと流してください。
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私が怒り続けている理由は、結論から言うと「とても大切にしていたアイディアを取られた」こと。盗られた、と書いても良いとも思っている。
その大切にしていたアイディアは、子どもの名前。友人(だと思っていた人物)に、子どもの名前のアイディアを話の流れで教えたところ、そのアイディアをそのままその友人の子ども(たち)の名前として付けられた、ということ。
私が彼女にそのアイディアを教えたのは2019年、私の娘が1歳、彼女が1人目を妊娠していた時。
①私の娘の名前の由来
②運良く2人目に恵まれた際は、1人目とつながりのある名前にしようと思っている(同じ部首のついた漢字を入れる)
①は訊かれたから、②はそのまま流れで話した。②については、具体例も。今思うと、よくもべらべらと喋ったものだなと、自分に悪態をつきたくなるし、喋ったことを後悔しているけど、自信をもって付けた娘の名前、そもそも由来まで訊いてくれる人はあまりいないし、訊かれたならばと楽しく話した。
数ヶ月後に生まれた彼女の娘には、私の娘と同じ部首のついた漢字が入った名前がついていた。その時は、大して気に留めてはいなかった。同じ部首(その部首のついた漢字の総数はやや少なくて、名前に使うにはちょっと珍しめにはなるのだけど)の名前がつくくらいよくあることだし、ちょっとセンスがかぶったくらいならば大したことではないから。
その2年後。2021年の秋。彼女に2人目の娘が生まれ、当日出産報告がラインで届いた。もう名前を決めたよ、とそこに書いてあった名前は、私が話していた②の具体例そのままの名前。つまり名前そのもののアイディアも、1人目と2人目の名前をリンクさせるというアイディアも、そのまま彼女のものとなったということ。
その名前を見た時、さすがにこれは、と、息が止まる思いだった。それは私のアイディアだよね?と返事をしようか悩んだけど、出産当日の女性と一触即発なんてしたくないと思って、適当に流すような返事を送った。すると、彼女の方から「自分が考えた名前なんだ〜」と言った内容の返事が届いた。何かがぷちんと音を立てて切れた。
それは、あなたが考えたんじゃない。私が2年以上も前に、あなたに特別に教えたアイディアだ。まさか丸パクリされるなんて夢にも思わずに。
私は2人目に恵まれていない。どんな丸パクリだったとしても、先につけたもん勝ちなんです。これから先、彼女は周りの人たちや娘たち本人にその名前の由来を訊かれることがあれば、嬉々として私のアイディアを自分が考えついたことのように教えるのでしょう。この先、ずっと。
友人関係を続けることは、とてもじゃないけど無理だと思った。それ以来、ラインの返事は返していない。昨年末、そのまま静かに縁を切った。
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振り返れば、そもそも彼女には”前科”があった。結婚式の引き出物の一部を真似されたのだ。式場とは別に、お店にわざわざ直接オーダーしなければいけないような物で、私がかなりこだわったところ。まず偶然かぶったとは考えにくい物だったのに、彼女は私にこう言ったのだ。
「なんか、かぶったみたいになってごめんね!」
かぶったみたいになったのではなく、そちらがかぶせたのでは?と、その場で言えるわけもなく会場を後にしたわけだが、その時感じた違和感を、もっと自分の感覚を信じたほうがよかったのではないかと今では思う。
彼女はずっと、私の持ち物を真似ていたりもした。「あかりちゃんがいないところであかりちゃんの真似をしたものをいろいろ披露すると、わたしがセンス良いって褒められるんだよね!」と言われたこともあった。私の好きなアーティストを好きになったり、私がファンであったお笑い芸人のファンになったりもしていた。それを私は「きっと元から好きなもののセンスが似ているんだ」「私に影響を受けているのかもしれない(きっと私以外の友人にも)」と思っていた。思いたかったのかもしれない。しかし、段々度が過ぎていった。
趣味や物のセンスだけではなく、まさか子どもの名前なんていう、一世一代のアイディアまで自分のものとされてしまうとは。
彼女に”アイディアを取っていった”という自覚があるかと問うたとしたら、おそらくNoと答えると思う。(まあそもそもYesだったら、自覚あんのかい!ってなるしね。あってもなくても返事はNoなのだろうが。)彼女はたぶん、本当に、本気で、”友人がとても大切に温めていたアイディアを自分がパクった”なんていう自覚はないと思う。むしろ、これを(読むことはなさそうだけど)読むことがあったとしたら、びっくりするんじゃないだろうか。えーそんなこと言ってたっけ?となりそう。
それくらい、彼女にとっては、私の(というか、他人の)アイディアって軽いもの。悪気なく、持ち去っても良いもの。ファッション誌で見た可愛いスタイリングを真似したり、グルメ誌で見た近所の美味しい珈琲屋を求めたり、インスタで見たホテルに行ったり、それと同じ。私は雑誌ではなく人間だし、インフルエンサーでも何でもなく、一応はそれなりに心を通わせていた友人だったはずなのですが。でも、その”友人”だった私も、アイディアを情報としていただく程度の相手だったっていうことなんです。まるで名付け本をめくるように。
いや、あのね、情報なら、いいよ。いくらでも持っていってもらって。スタイリングも珈琲屋もホテルも、知ってることならいくらでも教えるよ。子どもの名前のアイディアを持っていかれるくらいなら。
不思議なんだ。自分の子どもの、特に2人目の名前を決めるときに浮かんだアイディアに対して、あれ?これ誰か友人が言ってなかったっけな?しかも割と近しい人が言ってなかったっけ?って、どうしてならなかったんだろうって。こちらが出せる結論としては、やっぱり、言い方悪いけど「長年散々色々と真似したわりに、その人(私)本人には敬意がなく、アイディアを情報としか捉えていなかったので、その人(私)のアイディアだったかなんていちいち覚えてない」だと思う。
そう、敬意がなかった。これが私の、最大の怒りの原因。今まであった違和感の正体はきっと「私はもしかしたらあまり敬意を払われていないかもしれない」という感覚だったんだと、ようやく気づいた。
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でね、ここまで書いて、やっぱり思うんです。私が何故怒っているのか、わからない人は絶対いると思う。良い歳の大人がアイディアパクられたってプンスカ怒ってるの、馬鹿馬鹿しいと思う人もいると思う。たかがアイディア、たかが情報、だと思っている人は、そうだと思う。(私も、ただの情報だったら、そんなに怒らなかったと思う。まあ、他人から聞いた情報を自分が見つけたみたいに披露する人、好きじゃないけど。)ぺらぺら喋った私にも隙があった、真似されてもしょうがないともし言われるのであれば、納得はいかないけど、そう言う人もいるだろうなとは思う。
だから私は、相手に直接怒ったり、抗議したり、そういうことを(したほうがよかったんじゃないかと思う人ももしかしたらいるかもしれないけど)しないことにした。私の怒りは結局私だけのもので、子どもの名前のアイディアを奪われたということの"軽さ"は、私にしかわからないから。私にとっては、一生許せないくらい重かった。私にとっては。ただそれだけのこと。
たぶん彼女はまだ、私が怒っていること自体には気づいていても、何故怒っているかはわかっていないと思う。何か怒らせるようなことしたっけ?と思っていると思う。そして原因がわかったところで、本質的に、自分のやってきたことが相手(私)にとってどういう意味を持つかはわからないと思う。それで良い。彼女が、自分の子どもの名前を呼ぶ度に罪悪感にかられるほど私の気持ちを理解したら、それはそれでどうかと思うし。
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相手がいる話なので書くこと自体悩んだけれど、彼女と私には共通の友人もいないし、彼女の身バレもない、名誉が傷つくこともないということで、これを書いて私もこの怒りを2021年に置いて前に進もうという気持ちです。許せはしないけど、せめて日常の隙間からにじり出てくる怒りに囚われることのないように。成仏!
さよなら。おしまい。
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