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アイドル中毒④ ~オタ活歴9年目にして気づいたこと~

読んでお分かりの通り、私は推しに対してリアコ(リアルに恋する)になりがちである。
推しと結婚できる確率などほぼ0に近いのは分かっているのだが、心のどこかではひょっとしたら結婚できないものだろうかと、わずかな希望を抱くのがオタクというものである(少なくとも私の場合は)。

適切な距離感を保ってオタ活ができるのであれば、それはそれは楽しいオタクライフを送ることができる。
しかし、私の場合好きになると、とことん沼にハマってしまい、自分の中で推しとの適切な距離感を保つことができなくなり、すぐにリアコになってしまう。

セカオワを好きだった時は、今思えば完全に彼らに依存していた。セカオワがいるから大丈夫。と思っていた。
ライブに行くことが生きがいであり、それがないと生きていけない。そんな精神状態であった。

ウォンジンに関しては、何かあればウォンジンに手紙書こ♪の精神であったため、彼に手紙を書くことによってストレス発散をしていたのだと思う。

つまり、セカオワもCRAVITYも私の心の拠り所であった。彼らは心にいつも張り付いている虚無感を埋める存在であった。

CRAVITYを追い続けて2年、2022年6月30日に私は遂に彼らと対面した。
コロナ禍でデビューした彼らが、日本で初めての単独コンサートを行ったのである。しかも、ど平日。大阪で。私は幸いコンサート2日目が休みであったため、大阪か…と思いつつもこれは絶対に行く!!と思い、チケットを応募した。

いつも写真や映像でばかり見ていた彼らの姿をやっと生で見れる!!
私の心は高揚していた。



迎えた6月30日(木)昼公演。
光に照らされた彼らのシルエットが見える。いる!!いる!!やばい!!思ったよりでかっ!!
生で見る彼らの姿に興奮した。

デビューアルバムの最初の曲、Top of the Chainから始まり、Mammothを披露し、コンサートは順調に進んでいった。


CRAVITYって実在するんだ!!画面越しでしか見たことのなかった彼らが、今、目の前にいる。しかも、日本に!!何とも不思議な感覚であった。

"ファンコン"というだけあって、これまでの楽曲を披露するだけでなく、ファンがポストイットに書いた要望にメンバーが答えるコーナーや、ジェスチャーゲーム、イントロクイズなどもあり、とても満足のいく内容であった。

コンサートの間、私はずっとトイレに行きたかったが(始まる前に行ったのだが、なんせ普段からトイレが近い…)、そんなことも忘れるくらい、(忘れてはいないが)とても楽しく幸せな時間であった。

CRAVITYに会えない2年間、現場がないことが辛く、その度にウォンジンのチッケムを見たり、ひとりじゃないのカバー、クレッセンド(ウォンジンとセウンさんのユニット)のsomeone's someoneを聴いたりしながら、何とかやり過ごしてきた。
そして、迎えたウォンジンとの初対面。

ステージの上にいる彼はとても輝いていた。コーナーの罰ゲーム用に使うカチューシャを持ってきたスタッフにカチューシャを付けようとするなど、いたずらっ子な場面が生で見れたり、モニターではあるがダンスを踊っている時の表情を見れたり、オンラインコンサートでよく見た、ファン1人1人を綺麗な目で見つめる姿を見れたりと、私が知っているウォンジンの姿がそこにはあった。

彼はコンサートの最後のコメントで「色々な感情を感じていると思いますが、その感情を大切にしてください。」(昼公演)、「今日のこの思い出を大切にしてください。」(夜公演)と言っていた。

コンサート翌日、彼らはすぐさま韓国に帰っていった。私がコンサートの余韻に浸っている中、彼らは次のスケジュールに向けて前に進んでいる。
どんなに楽しい時間であっても、それはすぐに終わりを迎えてしまい、時間は容赦なく過ぎていく。ウォンジンはそのことを知っているため、今感じている感情や楽しい思い出を大切にしてください。と言っていたのか。そう思うと、

やっぱり私の推しは天才!!

と思った。

コンサートが終わった次の日、私は虚無感に襲われていた。あんなにも楽しみにしていたのに、一瞬で終わってしまった。それまでは辛いことがあっても、まだウォンジンに会ってないから死ねない!!などと思っていたが、もうウォンジンにも会ったことだし、死んでも良いかな。そんな精神状態であった。

しかし、それがずっと続くわけでもなく、コンサートの余韻も少しずつ引いていき元の何もないつまらない生活に戻っていった。


それから約1ヶ月後の8月2日(火)、私はCRAVITYと2度目(ファンコンには昼と夜の2回参加したため、正確に言うと3度目だが)の再会を果たした。
ぴあアリーナMMで開催された、THE STAR NEXTAGEである。
今回は単独コンサートではなく、BE:FIRST、IVEも出演するイベントであった。

隣の席の方がロビティ(LUVITY。CRAVITYのファンダム名。日本語ではラビティと呼ぶ方が多いように思うが、私はロビティと呼んでいる。)だったため、一緒にワーキャー言いながら、コンサートを楽しんだ。



上の画像のように、今回は貴族衣装で、特にウォンジンのビジュアルが良く、(か、かっこよすぎる!!泣泣)と心の中で叫んでいた。



CRAVITYの曲の中でも私の好きなVIVIDを披露し、衣装もビジュアルも良く、ウォンジンの日本語も再び聞けたし、ソンミンのニャンニャンネコも見れ、単独コンサートよりも曲数は少なかったが、満足のいくものであった。

先程も述べたが、この時初めてロビティの方と直接お話したため、とても楽しかった。

しかし、コンサートの次の日、例のごとく私はまた虚無感に襲われていた。
楽しかった昨日とは一変、変わり映えのない生活。友達も恋人もおらず、仕事にも満足していない。コンサートが終われば、またつまらない日々が待っている。

この時、ふとあの時と同じことを感じていることに気がついた。忘れもしない、2013年10月13日。「炎と森のカーニバル」。そう、父に当初は反対されていたが、結局は行くことになったSEKAI NO OWRIのライブである。

あの時もライブ終わりの帰りのバスの中で一人、とてつもない寂しさに襲われていた。当初は行くことを反対されていたため、チケット発売日にチケットを買うことができず、転売サイトでやっとの思いで買ったチケット、キャンセル待ちで予約した高速バス、顧問の先生に嘘をついてまで部活を休んで行った人生初めてのライブ、楽しみにしていたことが一瞬で終わってしまい、終わった後は(帰りたくない 泣泣…うぅ~ 泣泣)と心の中で泣いていた。

あの時と同じじゃん!
私はまた同じことを繰り返している。CRAVITYとの2度目の対面を果たした後、ふと、そう思ったのである。

楽しい時間はあっという間にすぎる、というのは、もちろんライブに限ったことではない。友達や家族、恋人と遊びに行っても、楽しい時間はあっという間に過ぎるだろう。そして、またいつもの生活が待っている。
大概そんなものである。

しかし、私の場合はオタ活が生きがいとなっているため、四六時中CRAVITYやウォンジンのことばかり考えており、それがないと生きていけない状態になっている。
もちろん、それを生きがいに生きるのも1つの選択肢であるとは思う。

だか、私は、いつまでもこんな生活を続けるわけにもいかない。将来、結婚だってしたいし、何よりも自分の好きな仕事を見つけたい!そう、強く思っている。

それなのに、いつまでもオタ活ばかりやっていては、お金はほとんどそこに注がれてしまうわけであり、なんせセカオワを好きになって以降、(オタクになってからというもの)服もろくに買っていない。そのことに気がついたのである。

病気をしていた期間が長かったため、収入も少なく、そこにかけるお金がほとんどないというのも事実だが、ライブ1回につき1万や2万、セカオワを追っていた時、The Colorsというライブツアーに至っては、チケット代だけで15万も使っていた。
そのくらいのお金を推しにかけるのであれば、自分に使ってあげても良いのではないかと思ったのである。

オタクは大抵の場合、金銭感覚が狂っている(言い方が悪くて申し訳ないが)。かくいう、私もそうなのである。
推しに会うためなら、1万や2万どうってことない♪ヨントンやサイン会に参加している人に至っては、10万や20万、ましてやそれ以上の金額でも出すのである。(もちろん、そのために必死で働いていらっしゃると思うのだが。)
私はヨントンなどには参加したことがないため、そこまでのお金を使ったことはないが、チケット代だけでもバカにならない。

セカオワやCRAVITYにかけたお金と時間、それはその時必要なものであったし、確かに楽しく幸せな時間であった。

病気の期間が長かったため、辛いながらも彼らの舞台や笑い合う姿を見ることによって、私の心は癒され、たくさんの元気と幸せをもらった。
それは、紛れもない事実である。セカオワに出会えたこと、CRAVITYやウォンジンに出会えたこと、素敵な楽曲達に出会えたこと、それは幸運なことであった。
これまでのオタ活ライフを否定するつもりは一切ない。

しかし、オタ活は楽しいだけではなかった。それもまた事実である。セカオワに関しては、街中やライブ終わりなどにメンバーと遭遇したファンの情報を見ると病んでいたし、CRAVITYに関してはヨントンを何度もやっているオタクのツイートやコンカの手紙などを読んでメンバーに認知されているファンのことを羨み、病んでいた。

また、私は推しに対してリアコになってしまうため、叶わぬ夢と思いつつもひょっとすると?と考えつつ、結局は無理なんだと思うと悲しくなり、病んでいた。

また、ウォンジンにこれまでのコンカの手紙を100通以上は書いたと思うが(もっとたくさん書いているロビティの方もいらっしゃるのだが)、本人が実際に読んでいると信じたいし、彼はそういう子であると思ってはいるが、こちらから本当に読んだかなど、ヨントンなどをしない限りは確認することはできない。


また、CRAVITYデビュー1周年の時は2ヶ月いや3ヶ月ほどかけて作った、彼らの1年間のスケジュールをまとめたアルバムとメンバー1人につき1つの色紙を作り、スタシに送ったが、彼らの元にしっかりと届いているのかなど、こちらから確認することなどできない。(郵便の追跡を見て届いたのは確認したが、彼らがそれを見たかどうかは分からない🤷‍♀️)

嬉しいことや悲しいことがあってもウォンジンが私の話を聞いてくれるわけでもなく、(そもそもアイドルにそれを求めること自体が間違っているのだが)、そう思うと妙に悲しくなったのである。

結局はリアルで楽しいことや悲しいことを分かち合える人が必要だ。私は長いオタ活ライフを経て、そう思ったのである。

続く。




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