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意味のある負け


少し前に、こんなツイートをしました。

他人の予想に乗ることを否定しているのではなく、何も考えずに他人の予想に乗ることについてを勿体無いと感じてのツイートです。

「その人の勝手」と言えば、それで終いなのですが、ただお説教するつもりはなく、一個人の考え方を書いてみたいと思いました。

これについて、意味のある負けを繰り返すことの意味は、上手な負け方を身につけるために必要であると、そんなことを思っています。

負けを認められない大人たち

『負けを取り返そうとして泥沼にハマってしまい、余計に状況が悪くなる』
というのが、負け過ぎてしまう理由の王道パターンのひとつでもあるように、私たちの本能は、なかなか簡単に負けを受け入れられないようにできています。

さらに、生まれ持った本能に加えて、大人になるにつれて培われてきた "プライド" のようなものが、負けを許さないなんてこともありますよね。

ただ、持って生まれた本能にはそう簡単に抗えませんが、取るに足らない小さなプライドは捨ててしまえば、肩の荷も少し降りるかもしれません。

話は変わりますが、
悲しいことに、いい歳して『負け方を知らない大人』がどの世界にもいます。
どんな状況でも負けてることを認めず、我を突き通し、上手くいかなければ他人を逆恨みするような薄っぺらいプライドだけが頼りの人間も少なからずいます。

こんな人間にはなりたくないものだと常々思っているのですが、そのためにも、ギャンブルに限らず日常生活の中でも、意味のある負け は避けてはいけないと考えています。

上手な負け方

今日の勝負が負け戦だとわかっても、負けまいと躍起になってボロボロになるよりは、潔く負けを認めて、次につながるような立ち回りに切り替えていくほうが懸命だと思っています。

負け戦だとしても 上手な負け方 というものがあり、負け方が上手いと、それで傷を負っても倒れないし、むしろ次の勝ちにも繋げられる。

この負け方が上手くなるには、実際に 意味のある負け をたくさん経験していくしかないのでしょう。

この 意味のある負け の経験を積んでいかないと、ただ次に活かせないだけでなく、本当に負けてる瞬間に、自分の理性が感情に支配されてしまい、正しいと思える行動を取ることができない。
頭では正しくないと思っているような行動を延々とってしまうことにさえつながり、それに気づくことすらできなくなると考えられます。

さらに、意味の"ない"負け では、負けの原因を追求しようにも、その原因の所在すら不明確なので、自分を責めるか他人を責めるかくらいしかすることがないんです。

つまり、例えば思考停止で予想屋の買い目に丸乗りをしてしまったなら、なぜ「安易に乗ってしまったのか」と自分を責めるか、予想を提供した相手を非難するくらいしかできない。(この点、「○○さんが外すなら仕方ない」なんて盲信に至っては、ただの奴隷的思考に他ならないのでもっと論外ですが。)

この点、意味のある負け ができれば、その負けに対して、自責や他責ではなく『分析』をすることができます。

他人の予想に乗るにしても、どういう根拠でその予想に至ったのかを客観的に分析して、時には否定しながら、解説が納得できそうなら乗ってみたり、自分ならこう思うというところがあれば、自分なりの根拠を加えてみたり。

それで外したとしても、それにはちゃんと理由がある 意味のある負け なので、振り返ってみることで次の勝利にも活かせるはず。
数字だけを買うのは、お金も時間も無駄にしていて、人生の無駄遣いとさえ思ってしまいます。

中には、高額の的中画像や誇張した表現ばかり使用して欲を煽ろうとする人間もいるのですが、それに騙されていることに気付いていない人間が多いのも現実です。

偽物のブランドバッグばかりが並んでいるような、中身のない "当て物屋" の商品に目を輝かせている場合ではありません。
あなたがネギを背負ったカモになりたくなければ、その人間を知ろうとすること、そして何より自分自身を知ろうとすることが大切ではないでしょうか。
少なくとも、意味のない勝負を避けていけば、騙されることは無くなるはずです。

終わりに

大人になった今、負け方は簡単に学べないし、そうそう負けてはいられない社会で私たちは生活しています。
そんな中、ギャンブルだけが唯一、私たちに何度も敗北を教えてくれるものかもしれません。
だからこそ、負けを ただの負け で終わらせてしまわないようにしたいと思うのです。

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