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それでも「忘れないで」と願う

東日本大震災から8年です。

今年は平日で、しかも陸前高田では昨晩から強い雨が降り続き、街中を歩く人は例年よりも少なく感じました。
昨年までの僕は、取材者として東北のどこかで3月11日を迎えてきましたが、今年は陸前高田で暮らす一人としてこの日を迎えました。そして、遺族でも被災者でもない僕は、仕事上で少なからず復興事業にかかわっている事もあり、いつもと変わらず仕事をしていました。
今年は初めて、3月11日に向けた記事も書いていません。記事にすべきことは目の前にたくさんあり、先月からいくつか取材もしましたが、どれも記事にするまでに至ってません。
「伝え続ける事」を目的に東北へ移住したのに、いまは「伝え継ぐ事」の難しさを実感しています。伝え続けるはずが、3月11日を迎えて何も伝えられずに過ごすっていうのは、自分でもいかがなものかと、もどかしさを感じ、このコラムをアップしました。
 
さて、取材目的ではありませんでしたが、先日、陸前高田市で震災遺構として保存が決定している「旧気仙中学校校舎」を撮影してきました。
 

 
岩手県陸前高田市では、この気仙中校舎とともに全部で4つの震災遺構を取り囲むように「高田松原津波復興祈念公園」が整備されようとしています。120ヘクタール(東京ドーム約30個分)にも及ぶ県営公園の完成は2年後で、並行して行われている市内の復興整備工事が終わるのも、やはり2年後となります。
 

 
震災遺構は東北沿岸部にいくつも残され、「物言わぬ語り部」として震災や津波の恐ろしさを後世に伝える役割を担っていますが、旧気仙中校舎では、施設内を当時のままに残し、ほとんど整理されていません。
校舎の廊下や教室には、中にあった物や外から流れ込んだ物が散乱し、津波の影響で歪んだシャッターや天井の建材が剥き出しのまま残されています。同じく震災遺構の「奇跡の一本松」が見える音楽室の窓には割れたガラスがそのまま残され、室内は机や椅子が散乱しています。
現在は一般公開をしていませんが、今後、どのように公開していくか検討しているところです。
 

 
震災から8年の14時46分、市内にはサイレンが鳴り響きました。きっと、東北のいたるところでサイレンが鳴り響き、東北で暮らす人たちがあの時を思い出したことでしょう。
でも、サイレンが鳴る1分間を除けば、多くの人たちが淡々と日々の暮らしを過ごしています。
 
正確に言えば、「淡々とした日々の暮らしを装っている」のだと思います。
 
2週間くらい前から、毎日のニュース番組や新聞記事で「震災8年」の特集が組まれています。ただでさえ東北では震災情報があふれるのに、そのほかにも全国ネットの特集が組まれ、嫌でも意識せざるを得ない東北の暮らしです。さすがの僕も、3月に入ってからの特集番組や特集記事を未見のままにしていますが、職場や日常の何気ない会話のなかでも震災に関する話が出てきます。
それでも多くの人が淡々と日々の暮らしを送っています。

そんな中で、「この時期だけ震災や東北復興に目が向けられる事」「わかりやすい一部だけを切り取る情報」への批判的な意見が散見されます。
でも、僕は、せめてこの時期だけでも、東北以外の人たちに意識をしてほしいなって思います。
 
復興の工事が今も続き、砂煙の中でトラックが行き交う姿が日常にあり、ここで暮らす人たちにとって、あの日のことは決して忘れられることではないはずです。とはいえ、「震災」そのものは、どんどん目の前から見えなくなっているのです。写真で紹介した気仙中学校の校舎には、地元の人たちもほとんど入ることができません。校舎の中があのように当時の姿のままでいる事を忘れてしまったり、知らなかったりする市民の数は少なくありません。「被災地」でも風化は着実に進んでいます。
それでも、「被災地」以外で暮らしている多くの人たちが「3月11日」を忘れないでいてくれるという現実があるから、「被災地」で暮らしている人たちは安心して淡々と日々の暮らしを送っていけるのだと、僕は思っています。

あの日、死者と行方不明者を合わせて1万8430人が犠牲となりました。震災関連死を含めると少なくとも合わせて2万2131人におよびます。今も5万1778人が避難生活を送っています。僕が暮らしている仮設住宅だけでも、いまだ30人ほどが住宅再建をかなえられずにいます。
多くの地域で復興はいまだ終わっておらず、全国からの支援や応援がなければ、東北はまだ元気な姿で居続けることはできません。どんなに元気に見えても、それが東北の現実です。

ただ「あの日」を思い出すだけでもいい。
今も震災の影響下で暮らしている人たちに思いをはせるだけでもいい。
もちろん、次の災害のときに自分や大切な人が犠牲にならないように考えてくれれば、もっといいと思います。
誰の目で見えるものも、所詮は何かの一部を切り取っているにすぎません。被災地で暮らす人だって、それは同じです。
だから、たとえそれが「一部」や「わずかなもの」であっても、時折でいいので忘れずに思い続けてほしいなって思います。
そして、何かの折に東北に足を運んだり、少しでも応援してくれると嬉しいです。

それが、東北の元気につながり、次の災害で一つでも多くの命を救うことにつながってほしい……8回目の「3月11日」を迎えた僕の願いです。

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