舞台袖でー1年間恋人の俳優業をサポートした私が思うことー


2020年、私は「恋人をサポートすること」を選択した。

代わりと言ってはなんだけど、私は14歳から続けてきた俳優としての活動をほとんどしなかった。


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2019年の終わりに遡る。

私はある座組で出会ったある人に惹かれた。


映画を愛して俳優になり、けれど映画のオーディションにはなかなか受からず、望んだ事務所のオーディションにも受からず、フリーで小劇場を中心に活動していたその人は、燻っている姿も含めて私の瞳に魅力的に映った。


なにより映画が好きで、古着と音楽と漫画とキャベツも好きで、子どもみたいに笑ったり泣いたりするその人に、当時19歳だった私は人生で初めての告白をして、お付き合いが始まった。


その人と恋仲になる前からいまでもずっと、私はその人が映画に出るべき人で、その人を撮りたいと思う人やその人が出る映画を観たいと思う人が必ずどこかにいると思っている。

そして私自身、その人の映画を撮りたいと思い、その人の映画を観たいと思っている。

そんな思いが冒頭の、2020年の私の選択につながった。


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「恋人のサポートをすること」

「恋人のサポート」とはつまり、「恋人の俳優業のサポート」だ。

私は恋人のマネージャーで、プロデューサーで、カメラマンで、創作のパートナーだった。

できることを片っ端からやっていった。


InstagramとTwitterの新しいアカウントを作って運営のアドバイスや手伝いをしたり、デートの日でも時間があれば写真撮影をしてSNSにアップしたり、オーディションを見つけてきては応募書類を一緒に準備したり、恋人のことを知ってもらえるようなインタビュー記事を企画してWEBメディアの公募枠に応募したりした。


1年単位で行われるコンテストに挑戦して、応募書類や面接の準備を手伝ったり、戦略やアピールを考えたりもした。


恋人の写真や映像を撮ることは好きだし、恋人の魅力を伝えるために撮影や編集をして発信し、恋人の魅力に気づく人が増えていくのを見届けるのはうれしかった。


たまに独占欲のようなものがむくむくと湧き上がり、私がとらえた恋人の表情を、声を、仕草を、誰にも見せたくないと感じる瞬間もあったけれど、それより、自分だったら恋人を売れさせられるのではないか、と考えてワクワクする気持ちが勝る。

大好きな恋人が見たくても見れなかった景色を見に行くための手伝いをしたいと思ったし、描きもしなかった豊かな景色も私が見せてあげたいと思った。


恋人との共同制作である部分も多かったから喧嘩もたくさんしたし「もう無理だ」と思うことも何度もあったけれど、たくさんの喜びにも出会えて感謝している。


けれど。

違和感とも焦燥感とも言える心地の悪い感覚が少しずつ現れた。


初めて自分のなかのもやもやを認知したのは、私が企画して恋人にインタビューをした記事がWEBメディアに掲載されたとき。
記事が公開されると、恋人のフォロワーからのリアクションがたくさんあった。


恋人と2人でつくった記事が人々に届いたことを心からうれしく思ったのと同時に、その記事の企画をし、インタビューをし、テキストをつくり、写真を撮り、編集部の方とやりとりをして、記事の公開まで漕ぎ着けた私に興味を示す人はいないということに気づいた。


こう書くとなんだか、すごく傲慢に聞こえるけれど、そう思ってしまった。


もちろん私の力不足もあるし、裏方にはやりがいがないと言うつもりは全くない。

ただ私は、恋人の活動に注力することで自分になにが残るのか分からなくなっていった。


恋人は、1年間で2本の映画に出演が決まり、ある大きなコンテストではファイナリストになった。

私は、14歳から俳優として活動を始め、6年目の2020年、自分の表現活動をほとんどしなかった。
出演もなかったし、なんのファイナリストにもならなかった。


2020年はコロナ禍によりチャンスが少なかったことや、2019年末から自分の俳優としての活動をどう進めていけばいいのか悩んでいたという要因もある。

だけど、恋人の活動のバックアップをするなかで、自分が応募したいと思っていたオーディションの〆切がいつの間にか過ぎていたり、恋人のサポート活動で忙しくなって自分が作ろうと思っていた作品に手をつけられないということが何度かあった。


恋人のせいにしたいわけじゃない。

全部私が選択したことだし、恋人のサポートに力を入れることで自分の活動がうまくいかないフラストレーションから逃れようとしてた節もあると思う。


あまりに恋人のことと自分のこととのバランスを崩したときは恋人と衝突したし、そこで気持ちを伝えて無理をしないように調整できたこともあった。

恋人がコンテストで使う作品の編集で私が忙しいときに恋人が家事を手伝ってくれることもあった。

そのほかにも、普段から私ばかりキバーなわけではなくて、私が恋人から受け取っていることは本当にたくさんある。


だけど私は、舞台袖で恋人の活躍を見ることが自分のいちばんの幸せだと思い込んでいたのかもしれない、と、そしてもしかしたらそれが全てではないのかもしれない、と気づいた。


「ダンスダンスダンスール」という漫画で、あるダンサーが「私は上手く舞台を降りられたつもりだけど、それでも、自分の思い入れのある役を他のダンサーが踊るのを手放しで楽しめない」と話すシーンがある。

私はきっと、まだ上手く舞台を降りられていないのだろう。


だからたぶん、舞台袖でこんなことを考えた。

#2020年わたしの選択

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