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OEDO「地球防衛隊」法案

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あたらしい国防のカタチを全28章で発案しています。改憲派、軍拡派に対抗できる対案になると自負しています! 平和を望む皆さん、ご賛同ください。まずは出版化を目指したいと思います。
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#ウクライナ

OEDO[1-1]防衛費増額のミスリード

岸田政権が目標とする増額案も5年間でたったの2倍、40兆円余りの額にとどまっています。護憲派、左翼、パヨクどもによる反対のせいで、さらなる増額は見込めそうにありません。言語道断です。本来ならば少なくともその5倍、200兆円規模の防衛費が日本には必要です。 諸説あるにせよ、プーチンが今回の侵攻に踏み切ったのは、ロシア・ウクライナ間の「緊張」が高まった結果にあることに間違いはありません。原因は「緊張」にあります。だとすれば、中途半端な40兆円程度の防衛費増額は、周辺諸国との緊張

OEDO[1-2]戦争観のアップデート

防衛の話となると必ず北方領土や竹島、尖閣諸島など──その所有権や漁業権、海底資源をめぐる経済的な利権が焦点になります。しかし年間5兆円もの国防費をかける必要は本当にあったのでしょうか? これまでも何十年間にも渡って──。たとえ自衛隊が存在しなかったとしても、国境は動かなかった気もします。 まして北海道や沖縄本島、五島列島に敵国が攻め込んでくる可能性となると皆無だったのではないでしょうか。プーチンのウクライナ侵攻が「19世紀の価値観」による「古い戦争」だと評されるように、領土

OEDO[1-3]戦争のインセンティブ

領土、植民地を奪い合うための戦争が終わり、経済効果のための戦争へのシフトが起きた転換点は1929年「世界恐慌」に端を発していたのではないかと僕は睨んでいます。政治学者のE・H・カーが『危機の二十年』と呼んだ第一次大戦と第二次大戦との合間になります。 「恐慌」と言えばインフレのイメージを抱く人が多いかもしれませんが、NYの株価大暴落から始まった世界恐慌は、典型的なデフレ圧力による不況でした。物が売れないので物価の下落が止まらず、当時のF・ルーズベルト大統領は有名なニューデイー

OEDO[1-4]墾田票田私財の法

しかしいくら防衛費が、国民の不安をあおるだけで引き出しやすいと言っても、どこまでも青天井って訳にはいきません。無駄に豪華な市庁舎と同様、「無駄な軍備」だと判断されれば国民からの不満が吹き出します。 冷戦が終了し、脅威も去ったのに、いつまでも年間何千億ドルもの予算を軍事力に投じていたら、納税者も黙っていません。脅威もないのに訓練ばかりを重ねていたら、隊員からも文句が出ます。「鍛えられた筋肉は行使せねばならぬ」の理(ことわり)です。 結果アメリカは、「覇権国家」として「世界の

OEDO[1-5]ラスボスは民衆

自分の給料・収入が下がれば少額でも大騒ぎなのに、いつのまにか徴収される税金には無頓着。この心理的矛盾が、防衛費増額の背景には隠れています。もし時給が100円でも、月収が1万円でも下がれば大騒ぎなのに、増税に関しては不満を抱えつつもいつの間にか受け入れてしまう──。 資本家と政治家をやり玉にあげて、軍備解体を阻む障害とその堅牢さをこれまで論じてきましたが、最後に残る大ボスとなるのが、国民です。ラスボスは民衆。手強い相手になりますので2ターンに分けて戦うことになります。今回はそ

OEDO[1-6]民衆はヒーロー

東北の皆さんの復興費を、防衛費増強にあてるんじゃねぇ! 逆だろっ、逆! 防衛費(年間5兆円強)をまるまる復興費にあてるんだよっ!! ──などという暴論が「地球防衛隊」構想の精神です。大げさに言うならば。 確かにそれだけを聞いていれば、暴論にしか聞こえません。しかし、この硬直し煮詰まった、動かし難い現状を俯瞰すれば仕方ありません。日本の国防体制。こうでもしなければ打開できないシステムが組み上がっています。発想を逆転させて、新たな未来を切り開くのです。 この転換を喩えるなら、

OEDO[1-7]既得権益のスライド

一方では「軍需産業は儲からない」との声も耳にします。我が国の防衛産業は、何も大手の重化学やサイバー産業だけに限らず、多くの中小企業、町工場に支えられています。そしてそこに従事する人の多くが、儲けを度外視して──とは言わずとも、使命感を持って働いています。 戦車1台の製造に千社の企業が関わると言われます。職人の技が失われつつある昨今、安全保障の生産基盤を失う訳にはいきません。「死の商人」と言えば、庶民の生き血をすする悪の権化のようにカリカチュアライズされますが、とんでもない。

OEDO[1-8] 非武装のリスクヘッジ

「勢力均衡」が戦争の抑止力足り得ないことは、過去の戦争の例を見れば明らかですし、そもそも「領土の奪い合い」の為に戦争をする時代は終わっています。技術の発達と生産力の向上によりモノが余る今の時代、軍拡への動機は財政出動によるケインズ効果しかありません。 もう尖閣や竹島、Jアラートなどで危機感を煽られるのは終わりにしましょう。防衛費増額のために世論を味方にして、政治家自身の支持率につなげたいだけだと邪推しかできません。しかも防衛費は、一度膨れ上がってしまえば、将来に渡って収縮さ

OEDO[2-1] ニュータイプの戦略

問題となるのは、日本のような大国が非武装にすると何が起こるのか。その参考となる先例がないことです。すでに軍隊を放棄しているバチカンやリヒテンシュタイン、コスタリカやツバルのような都市国家や小国は参考になりません。とりあえず平和は続いてはいるようですが。 反面、武力を強化した時に何が起こるのかは歴史が証明しています。緊張が高まり、戦争になるのです。勢力均衡による平和など幻想に過ぎません。1496年のイタリア戦争以降、つまり近世以降の戦争を見渡すだけでも、同程度の武力が悲劇を招

OEDO[3-3] 侵攻のインバウンド

これは反論というより、質問なのですが──日本が非武装になった時、外敵が攻めてくるとしたら、どのような事態が起こるのでしょう。自衛隊が交戦するシミュレーションは、軍事専門家がさんざん分析されているでしょうけど、非武装の場合はまったく予想が立ちません。 そもそも近年においてその先例がありません。まずはきっかけです。防衛費を増額して周辺諸国との緊張を高めればどうなるかは想像に難くなく、参考となる先例もあります。今のウクライナです。NATOの東方拡大やウクライナの軍備増強がその原因

OEDO[3-5] 無理ゲーの攻略

「非武装による武装」──まったくトートロジカルに矛盾した理論を展開しているようですが、実はこれが王道。一種「裸の王さま」の寓話のようですが、毒だったものが薬になるパルマコンのごとく、世界の価値観は転換しています。誰かが「王様は裸だ」と叫べば、事態は打開できます。 今さら植民地主義を復活できますか。今さら共産主義革命を興せますか。ほんの半世紀前、一世紀前には常識だったことが覆る世の中です。戦争と軍備そのものも、そろそろ用済みになります。いや、実は先進国ではすでに過去の遺物とな

OEDO[3-7] 経済安保の罠

ここ最近の報道を見ているとどうも、我が国の防衛は短期的な視野でしか議論されてないように感じます。「敵基地攻撃能力」とか、「専守防衛見直し」とか、「先制攻撃能力」とか、「必要最小限度の実力」とか──素人目にも、一度始まった戦争がそんな短期で終わるはずないと思うのですが。 具体的な兵器にしても、PAC-3配備とか、トマホーク導入とか、イージス・アショア断念とか──興味がないので詳細は知りませんが、ドンっとなった花火が綺麗だなレベルの、瞬間的な戦略しか講じてないような気がしてなり