かず | 旅のフラグメント
September 2024
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自己紹介はじめまして。 都内に住む会社員のかずと申します。 美しいものを見つけたり感じたりすることが好きです。 noteでは、主にそんな僕の心の琴線に触れた旅の記憶のフラグメント<破片>を紡いでいこうと思っています。 投稿内容旅は国内国外関わらずですが、役に立つ情報というよりも、旅の空気を感じ取っていただけるようなものを以下の方向性で書きたいと思っています。 ①1つの記事は500~1,000文字前後 自分自身も書きやすく、また読み手の方にもさらっと読んでいただけるよう
海外をひとりで旅しているとよく声をかけられる。 よくあるパターンの1つとして、「案内するよ」というものだ。 普通、このパターンはぼったくりだろう。 最後の最後で高額なお金を請求してくるあれだ。 けれども、直感的に「あ、この人いい人だな」と感じる人がいる。 そう感じた相手には好奇心が勝ってしまって、じゃあお願いします!とついていってしまう(良い子はマネしてはいけない)。 ハノイの旧市街で声をかけてきたジェームスもそうだ。 「もし必要だったら、おれのバイクでハノイの観光地を案
トランジットのついでのバンコク滞在。 旅の疲れとこじらせた風邪のせいで体調がすこぶる悪く、バンコクでは何もしないことにした。 いや、体調以前に、僕はバンコクでの楽しみ方がいまいちわからないのだ。 友達と来るとあれやこれやと楽しいのだが、ひとりのバンコクは何をしていいかわからなくなる。 僕には街が巨大すぎるのかもしれない。 そのため、基本的にホテル(寝る)と目の前にあったセントラルワールド(食べる)の行き来だけで過ごした。 それでも貧乏性ゆえ1つくらいは・・と思い訪れたワ
「今日ゴルフはどう?」 ビエンチャンについた翌日の朝、ホストファーザーTさんからの提案だ。 (いや、ゴルフやったことないよ・・というか観光初日にゴルフってビエンチャンってまじでなんもないのかしら) と一抹の不安を覚えるも、せっかく計画してくれたゴルフだし行くことにした。 そして、ホームステイしているフランス人のLくんも一緒に行くことになった。ちなみにめちゃくちゃイケメン青年である。 Tさんの車に乗り込み、ビエンチャンから車で30分くらいだろうか、ゴルフ場に到着した。
旅をしている時、なるべく五感を研ぎ澄ませるよう意識する。 視る、触れる、味わう、嗅ぐ、・・そして澄ます。 普段の生活では、イヤホンをつけて周りの音を遮断することが多いが、旅先ではつけないようにしている。 聴覚を開放して、音からの刺激を受け取るためだ。 けれど、スリランカの中央部、ジャングルの中に突如現れる高さ200mもの遺跡シーギリヤ・ロックを目の前にしたときはいつもとは違う衝動に駆られた。 その雄大な姿を眺めているとある曲が頭の流れ始めたのだ。 「あれ、この曲なんだっ
ビエンチャンに到着し、ゲートを抜けてホストファミリーを探す。 そう、このビエンチャンではホームステイする。 ラオスでのホームステイはなかなか貴重な体験だと思うけれど、今回ホストしてくれるご家族は実は親戚だ。 どういうことかというと、ぼくの親戚(はとこ)がラオス人男性と結婚して現在はビエンチャンで暮らしている。 とはいえ、この親戚とも今回初対面だったりする。 ラオスに行くことを決めた後、おばさん経由で連絡してもらったら、ぜひいらしてください、と招待いただいたという経緯だ。
ハノイに到着して空港を一歩出るとそれまでいたルアンパバーンの穏やかな空気とは一変、喧騒の中に放り込まれる。 タクシーの客引きや鳴りやまないクラクションがエネルギーではなくノイズとして認識されてしまう。 ーとにかくまずはゆっくりしよう。 そう考え、ホテルに向かうことにした。 人の波をかき分けなんとかタクシーを捕まえ、乗り込むとノイズが少し遠のく。 冷房の効いた車内は、乱れた心もクールダウンさせてくれる。 「日本人かい?僕のワイフはミツビシにつとめてるよ~」というドライバーの
5,6年程前だろうか。 書店に置かれた1冊の雑誌が目が留まった。 ホテルの特集が組まれたその雑誌の表紙を飾っていた写真が気になったのだ。 手に取りパラパラとページをめくると、表紙に使われたホテルが特集されている。 開業したばかりだというそのホテルは、白を基調としたコロニアル様式で、シンプルだけれど、凛とした佇まいが美しい。 そして何より、ホテルと一緒に載せられていたホテル周辺の町の風景が美しい。 オレンジの袈裟を着た僧侶たちの列 緑と調和した町並み 町を流れる川を黄金に
台北滞在中、一番楽しかったのは、建築を見て回ることだった。 有名な建築家が建てたものではない。 おしゃれでモダンな建築でもない。 僕が心惹かれたのは増改築を繰り返したようなつぎはぎの建築だ。 1階ごとに全く異なる様相の建物は、人々の意思の集合体だ。 そこに住んできた人たちの想いが育んだ奇跡だ。 それはまるでひとつのアート作品のようでもある。 じっと見ていると、無数の線が浮かび上がってくることに気付く。 四方八方、無秩序にばら撒かれた直線たち。 線フェチの僕にはたまらない
「ブータン人には、名字はありません」 ブータン人ガイドのソナムさんに、ソナムってラストネームなの、ファミリーネームなの、と聞いたときに帰ってきた言葉だ。 名字がないというのは日本人にとっては結構へんな感じだ。 それって不便じゃないのだろうか。 日本だったら「たろうが結婚したんだって」「どのたろうよ?」「やまだだよ」「あーやまだか」という会話が成立するが、ブータンではこの会話はあり得ないということになる。 のっぽのたろう、とか、タワマンに住んでるたろう、とか、教師やってるた
小さなころ、新聞の折込みチラシが好きだった。 特に好きだったのは宝石屋のそれだ。 ダイヤモンド、ルビー、サファイア、オパール・・・様々な石がプリントされたチラシはまるで宝箱のようで、夢中になって眺めていた。 気に行った宝石を見つけてはペンで丸印をつけて母に見せながら言った。 「大人になったらこれ買ってあげるねー!」 それから今の今まで宝石に縁はなかった。 自分で身に着けることもなかったし、誰かにプレゼントすることもなかった。 もちろん新聞ももう取ってはいないのだ。 ところ
シェムリアップアンコール国際空港に着いてその足でベンメリア遺跡に向かう。 アンコールワットから東へ40キロほど離れた森の中にそれはある。 雨季の夕刻らしく、しとしとと雨が降っていた。 時間のせいなのか、時期のせいなのか僕以外に観光客は誰もおらず、遺跡を打つ雨音だけが静寂の森に響く。 なるほど聞いていた通りラピュタの世界観である。 遺跡の多くの部分は崩れ、木々に侵食されている。 その姿はもの悲しく、しかし美しい。 人の手で作られたものが失われていく悲しさと、そこで新たな命を
初めて訪れる国でのマイルール。 いや、ルールというほど大したものではないのだけれど、それはその土地の骨董屋に行くことだ。 古いものに惹かれる。 その土地の歴史を刻んだモノたちの佇まいは美しい。 そしてそれらに触れることでその土地の新参者である僕もその土地と深く繋がれる気がするのだ。 マイルールに則ってスリランカでは、世界遺産の街ゴールに滞在中に骨董屋を探すことにした。 今の時代は便利なので、ネットで調べればある程度の情報は手に入る。 僕は1つ気になる骨董屋を見つけたので、
(眩しい・・あれ・・ここはどこだっけ。天国?) プナカの日が沈む。 明かりもなく、何も見えない。 砂利道を進む僕を乗せた車の音が闇に消えていく。 ごおっという水の流れる音だけが川の存在を感じさせる。 やがて、1つの建物の前で車がとまる。 建物から人が出てくる。僕は車から降り、その人たちの元へ近づく。 そうここは今夜のホテルだ。 出迎えてくれたスタッフが優しい口調で挨拶をし、建物の中へと促す。 案内されて大きな門をくぐって石畳の外庭を進むと、木とガラスのコントラストが美し
ブータンの首都ティンプーからドチュラ峠を抜けて古都プナカへ向かう。 車酔いしやすい僕にとってブータンでの移動はなかなかつらいものがある。 街を移動する場合は大抵山を越えなければならないからだ。 ぐねぐねとうねる道の連続に僕の救世主センパアも完全に酔いを抑え込むことができない。 この道に慣れているブータン人にとって車酔いという概念がないのだろうか、グロッキーな僕に構わず話かけてくる。 でもごめん、全然頭に入ってこないよ。 山道を進んで4~5時間ほど経ったころだろうか、窓に体
ブータンは敬虔なチベット仏教徒が多い。 そしてチベット仏教には殺生を禁じる戒律があるので、ブータンの人々は無用な殺生を好まない。 また、ブータンの人々は輪廻転生をとても重んじている。 だから彼らは身近な人が亡くなったら、周囲の動物に生まれ変わっているかもしれないと考えている。 この殺生観と輪廻転生の2つの考えがあるからブータンの人々は家畜はおろかハエや蚊であっても殺さない。 ・・・これはガイドのSさんに聞いた話だ。 「え、ちょっと待って、でも肉食べるよね?」 といじわ