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「雨の日は不快指数が高くなるけど、今日も頑張っていこう」

中学校の英語の先生の口癖だ。
雨の日は確かに全てのやる気が雨水に流されたかのように綺麗さっぱりなくなる。朝起きてカーテン越しに雨の気配を察知した時には、どうしようもなく学校に行きたくない。
だけど、流されてしまった気力の残骸をなんとか拾い集めて外に出てしまえば、案外雨も悪くない。

むしろ、雨は好きだ。
雨の音が世の音を支配して様々な音を奏でている。ビニール傘に弾かれ、草木に弾かれ、下水道を流れ、あちこちで音が鳴り、雨が歌っている。
地面特有の匂いが漂い、暗がりの中全ての色が濃くなっていく。
強烈な雨粒が教室の窓を打ち、雨音とは思えない地響きの様な音にワクワクした。

何か見ているようで何も見ていない目、世界から色が消えてしまったかの様に思う。いつも何処か上の空で、このモノクロの世界では何も感じない。
かつては今よりも遥かに不自由で不便だったのに、なにかに熱中し、嬉しいことも悲しいことも濃密に味わっていた。今でも色濃く残る記憶。
人生の善し悪しは、行動の多さではなく感情の振れ幅で決まるのだと思う。
年々、損得や意義に囚われて心の振り子が錆び付いてきていた。過去を棚に上げて今の状況を悲観するよりも、鮮明な過去をいつか超える未来を創る今でありたい。

最近AirPodsProには外部音取り込みという、周りの音がより聞こえやすくなる機能がある。
それを使うと音楽と雨の音を同時に聞け、まるで雨音も曲の一端を担っているようだ。
止まない雨は無い、だとすれば止むまでもう少し雨の音を聞いていたい。

雨音は、未来への次回予告

最後まで読んでいただきありがとうございます!! 東海道中膝栗毛の膝栗毛って「徒歩で旅する」って意味らしいですよ