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自分の人生にマジになれない

まず、私が今おかれている状況を整理しよう。

  • 絶賛就職活動中の大学4年生

  • しかし就活に身が入らず、少しESを書いては休みを繰り返している

  • それでも面接への通過率は5割といったところ

  • そして明日は記念すべき初めての就職面接

  • な~~~~~~~~~~んにも準備していないし、する気も起きない

  • 突然「あっ、noteやってみよ」と思い立つ

そして、今である。

書いていて「つくづく甘えた人間ですこと!」と自分でも思う。しかし、どうにもこうにもやる気というか、情熱というか、生気というか、とにかくそういったものが湧いてこんのです。

冷静に考えればこの状況は非常にまずいのかもしれない。いや、まずいのだろう。なにせ「新卒カード」とかいうこれさえ持っていれば努力次第で何者にもなれる最強カードをどぶに捨てようとしているのだから。

しかしないものはない。口に手を突っ込んで腹のなかをまさぐっても、足首をつかんで宙吊りにしてシェイクしても、私から情熱は出てこない(出てくるものを強いて挙げるならば胃酸か、昼に食べた醤油ラーメン)。

これは就職活動をしているうちに改めて感じたことなのだが、私は本当に何かに夢中になったことがない。「部活に取り組んで大会に~」とか、「バンド組んでライブを~」とか「勉強に熱心に取り組んで~」とか、そういった「夢中でなにかをしたこと」がないのである。

これに気が付いたのは数年前、休日の朝にやっている、何かしらのジャンルで将来有望青少年に密着したドキュメンタリー番組を見たときのことである。私などとは違ってほとんど情熱でその身体が構成されているであろう彼彼女らは、常に全力で物事に没頭し体当たりしていく。
私はその美しい姿・営みを、もうすぐ昼になろうというのに、未だにパジャマ姿で、寝ぐせのついたぼさぼさの頭でソファーに横たわりながら「ぽけ~」と眺めていた。

するとどうしたことか、画面に映る青少年は一筋の涙を落しているではないか!
「こんなにひたむきで健気な彼らを泣かせるたぁ、野郎はどんな鬼畜の形相をしていやがるのか!」
と画面を注視していると、すこし様子がおかしいことに気が付く。

感動ムードなのだ・・・

すぐさま私は状況を理解した。

悔し涙だ・・・・!!!!

自分に全く縁の無い種類の涙だったのですっかり頭から抜け落ちていた。そうだった。ひとは悔しくても涙を流すんだ!

その気づきを得ると同時に、私はもう一つ、残酷な気づきを得てしまった。

「おれ、それしらない・・・・・」

そう、私は悔し涙を流した経験がないのである。というか、涙以前に「悔しい」という感情を覚えたことすら「あったっけ…?」というレベルである。
それもそのはず、「悔しい」という感情は全力でなにかに取り組み、華々しく砕け散ったものだけが手に入れられる、尊い尊いトロフィーなのだから。
私のような何の情熱もない凡夫も凡夫、大凡夫がそんな殊勝なトロフィーをもっているはずがない。

「人生にマジになれない」

以上をお読みいただけたなら、なんとなくこの言葉の意味もお判りになるだろう。
私にとって私の人生はいつもどこか他人事。だから頑張れないし、頑張ろうとも思えない。人が頑張っていたり、成功していたり、金持ちであったりしても、嫉妬心はこれっぽちもない。ただ他人事として「すごいねぇ」と心のなかで呟くだけである。

そんな私にとって、現在直面している「就職活動」という文化は天敵と言うほかない。なんせ企業が「ウチに入社したいという”情熱”を見せてみろ」というのだから。
「ただでさえ情熱がないのに、アンタのとこに情熱なんてあるわけないデショ!」
そんな言葉をぐっっっと飲み込んで、ぺたぺたと粘土をこねるように毎日嘘の情熱を創造している。

そうこうしているうちに面接まで凡そ12時間。別に合格したいとも思わないが、向こうからしても来ないのは困るだろうし、一応受けはしよう。

さ~~~~~て、Twitterしよ~~~~~っと!!!!!

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