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ボランティアってなんなん。

先日、Facebookできっつい言葉でボランティアに関しての疑問を投げかけて傷つけたことをまずお詫びします。
申し訳ございませんでした。

でも、「ボランティア」という言葉の持つ意味やその使われ方に疑問を持っているのには変わらずモヤモヤと思案している次第です。
ちょっと思いを書いてみたいと思います。
長文の予定なんで、暇な方のみ読んで頂ければ幸いです。

volunteerとボランティア

1994年、阪神大震災。僕も兵庫県で経験しました。ライフラインのストップや親戚の家の全壊など被災まではいかずとも心を痛めたのは覚えています。
その年がボランティア元年と言われています。
僕も学生時代、ずっとvolunteer活動を行っていました。今でも多少は無償の愛の精神は持ち合わせている方だと思います。

1994年、日本人にとって約30年ほどがボランティアという言葉の経験値なのかなと思います。
それまで日本語には馴染みのなかった言葉です。

volunteer(英英辞典で調べてみると)

→ [noun] a person who does something, especially helping other people, willingly and without being forced or paid to do it

→[名詞]何かをする人、特に他の人を助けることを、強制されたり、支払われたりすることなく、喜んで行う人


[verb] to offer to do something that you do not have to do, often without having been asked to do it and/or without expecting payment

  [動詞]あなたがする必要のないことをすることを申し出る、しばしばそれをするように頼まれることなく、そして/または支払いを期待せずに

(Cambridge Dictionary)

要するに自分の意思で行うことだということです。確かに「支払いを期待せずに」←無償で。という意味も含んでいますが、volunteerの形容詞と副詞を見てみると第一義が無償でと言うのは違うというのがわかります。

voluntary【形容詞】

(比較なし)
1a〈人・行動など〉自由意志から出た,自発的な,任意の,志願の,篤志の.
用例
Attendance is voluntary. 出席は自由[随意]です.
b自由意志をもった[によって行動する].
用例
Man is a voluntary agent. 人間は自由行為者である.
c故意の,有意の.
用例
voluntary manslaughter 【米法】 故殺.


voluntarily【副詞】
自由意志で,自発的に; 任意に.

てな感じで、volunteerの形容詞も副詞も「自発的」というのが本意である言葉であります。


色んな記事も読んでみましたが、日本人のvolunteerの意味についての認識は特異なようでして、

無償で活動する人 >   自発的な活動する人


になっているようです。

この文章では、

無償で活動する人=ボランティア
自発的な活動する人=volunteer


としていきます。ややこしいですが、読み解いてください。

今回の僕のポイントは「無償の活動」が経済や地域に損失を与えているのだと言うことを訴えていくようにします。

volunteerはお金をもらっていい!

自らの自由意志で行動を起こして、人助けをしてる人がvolunteerであって、ボランティア=volunteerという意味ではないのです。

強制や忖度の中でタダ働きをする人は外見状はvolunteerに見えるけど、volunteerではないという紛らわしい生態ももっているようです。そこに自分の意志がなければvolunteerではないのです。地域の日役や草刈りはボランティアやvolunteerではなく地域の共同作業やコミュニティ活動なんではないでしょうか。意味合いの変わってくる内容かと。「ぼらんてぃあ」という言葉を使ってるから自分の意志とズレがあると金も出んし、時間もコストもかかってくると頭に来てしまうのではと。

「我々はボランティアでやってるんですよ、あなたも仕方ないでしょう。」みたいなことを言われた経験ありませんか?要するにタダで働けや!

僕はあります。
ほんま知らんがな!って言ってもいい言葉ですよね。あなたの意志を僕に強制しないで!
あなたのvolunteerなんでしょ?
僕のvolunteerではありません!
たとえ良いことやっていても、僕の意志に沿わなければ断っていいんです。でも断ったら「あいつ、悪い奴だ」みたいな色眼鏡で見られることもあるのでやらざる得ないのも事実です。そんなときは屈しますよね笑

自らの意志で行う人がvolunteerという本来の意味ということであれば、報酬はもらっていいんです。0円である必要はないです。その額が少なくても多くてもvolunteerのモチベーションは自分の意思であるから、責任も文句も言うことはできない。
誰かに困ってるから助けて!と頼まれごとをして報酬は出せないの。それでもいい?→YES!!
受けた自分自身の責任なので誰にも文句は言えない。責任の所在は自分なんです。

ただ、仕事の依頼とボランティアの依頼はどう違うんだろう?
困ってる。とか、助けてほしい。お金を支払いできない。とか不継続的、緊急性が高い出来事に対しての依頼がvolunteerの依頼なのかなと考えます。予算立てがある経済活動が仕事ってことになるのかな?あくまで個人の意見ですが。

とにかく自分の意思で「あ、これは人助けになるもんだからvolunteer活動だと思う。」と自分の中で決めてしまえばいいのでしょう。
あくまでも自分の自由意志!決定権は自分にある!

でも他者から「ボランティアでやってくれん?」ってのはいささか失礼な言い回しのような気がします。

災害復興volunteer募集中!や社会や自然の困りごとに対して行動することは善だと思うし、自分の自由意志で行動に移して活動をすれば良いと思う。この誘い方は「volunteerしてくれませんか?」だと思う。あなたの意志を下さい!という意味だと思う。

「ボランティアやってくれん?」の「で」はすけべ根性があるように感じる。これは暗に「お前の労働力を無償で提供してくれんか?」という意味の「で」だと思ってしまうのは僕だけなんだろうか?

僕自身、心が動けば無償でもやるでしょうけど流されてYESということもあると思うし、今までもやってきたと思う。
「ぼらんてぃあ」という音のフィルターを使うことでキレイごとに見せかけて相手の意思を尊重しない作戦が日本語のボランティアという言葉にはありそうだ。
本来のvolunteerという意味が浸透することを願います。

きつい言葉でごめんなさい。

ボランティアという価格破壊!

日本語の意味として無償のボランティアが通用するのは不継続的、緊急性が高い出来事に対してなのでは?と前述しました。
継続的にボランティア(無償)を強いることは経済活動の損失を起こすことになると思います。

「ボランティアガイド」という立場があります。
地元の地域振興を目的に地元の魅力を発信するガイドです。
コレが僕は大っ嫌いな言葉なんです。

無償のガイド???はぁー!?って常に思っているんですが、ガイドというプロの仕事をバカにしている立場なんですよね。
例えば、こないだ地元の山のガイドを頼まれました。
平日に1日3,000円でやってくれんか?と。
これに対して僕は断りました。
一日3,000円でガイドの仕事を受けるとガイドの地位が失墜するからです。
担当の事務局長に言われたのはボランティア(無償)よりマシやろ?言われたんですよね。
3,000円もらえることはありがたいことかもしれませんが、本来のクオリティを軽んじていると思うのです。

ボランティア(無償)という言葉の使われ方が間違っているのが原因だと思います。

Facebookで投げかけたかったのはボランティア(無償)とvolunteerは違う。
ボランティア(無償)が継続的に蔓延ると価値が下がって価格破壊が起こる、起こっているということを言いたいです。

こないだテレビで違和感を覚えたのが、田舎に住むおじいちゃんが他のお年寄りの庭の木をボランティアで伐採している映像でした。このボランティアをしている男性は地域のお困りごとを助けるボランティア活動を日頃からされているそうです。
困っている人がいるから助ける!当然のvolunteerの活動だと思います。良いことだと思います。なかなか出来ない立派な行動であり活動だと心底思いました。

でも、違和感があって仕方なかったので、Facebookに投稿しました。

ここでのボランティアの意味は無償の活動をする人です。

彼のvolunteerは最高です。

彼はチェーンソーを駆使して大木を伐採していました。それはもう手際良く完璧に。

ここで2つの違和感を覚えました。

①事故があったら?
②それって専門家による仕事を奪ってないか?

①に関しては、知らんがなの世界、僕のお節介です。
でも事故があったときに「ボランティアやから責任負いません。」みたいなことってありますやん。人の好意に甘えることも重要やけど、安かろう悪かろうで狸寝入りすることになりかねんのとちゃうかなー?と思った違和感でした。

②専門家の仕事を奪う。
コレが違和感のど真ん中です。

彼が伐採したのは大木で、普通は林業家に頼むレベルだと思いました。
節約や助け合いの中での行動なんだろうけど、自分で全部やっちゃうというのは地域のためになっているのだろうか?
volunteerな精神でボランティア(無償)のことをやることで「仕事」を奪っていないのか。本来なら数万円が地域に回っていたのが、0円になっている。

もっともっと大袈裟に言えば、現役世代の仕事の価格破壊を引退した世代が行なっている。こじつけになりますが、地域の仕事がなくなり、若者の流出が起こる。だから元気な老人が無償もしくは安い労働力で働く。地域は回るが将来性には雲がかかっている。

深読みしすぎてすいません。
自分自身でアホだと思ってます。
すいません。

人が働くとき、なにかしらのコスト、人件費が発生します。
働きの場に無償が入り込むと商売は成り立たなくなります。この無償は長期のものではないでしょうが、短期的な価格破壊が起こります。これを生業として競合他社がいる中で、、、ボランティア団体です。無償でやります!ってやられたら、たまったもんやないなーと思いました。
それでも勝負はせないかんのでしょうけど。

確かに地域のクリーン作戦や川の清掃、キャンプ場の清掃、山のトレイルの管理、子ども食堂、日本語教室などなど社会にとって必須な活動がたくさんあり、支え合いを感じるボランティアの重要性は分かっています。

でも地域の課題を解決するのに緊急措置的なその場しのぎの無償の活動が続くとストレスが溜まるのではないか?
だからといって全てを有償にして売上や予算を立てるのは不可能です。

無償ということは大切なことではあると思うけど、ボランティアという言葉の持つ綺麗さでマウントを取るのはおかしいのでは?という違和感を覚えたのでした。
ほんと時と場合によるので全否定でも全肯定でもないです。

カタカナやから難しいのでは?

なんやかんや推敲しながら3時間ぐらい書いています。
早く文章を締めたいですが、また日を置いて読み直してから投稿します。もしかしたら没になってるかもしれません。この文書にあなたが出会えていたなら、僕がなんかしら頑張ったということです笑

さて、volunteerという言葉とボランティアという言葉にニュアンスの壁があると思っていることは書きました。
その壁が歪みをを生んでいるのかもしれないというとこまで僕は勝手に納得しています。

ほな、日本語のボランティアという言葉をどう修正すればvolunteerという言葉に戻っていくのだろうか?

福沢諭吉はhistoryという言葉を歴史と和訳しました。
his story=キリストの物語では日本人にしっくり来ないと考えたのでしょう。

本当の意味でのvolunteer活動をしたことない人にもわかるように、誤解を生まない言葉の意味として、こんなのはどうでしょうか?

「自発的な行動の寄附をする人」

昨今、カタカナが溢れててニュアンスを受け取るのが難しいと感じることが多いです。ニューノーマル?エビデンス?アジェンダ?ソフトオンデマンド?サブスクリプション?

volunteerとボランティア、今回の僕の発信で嫌な思いをされた方、その通りと納得された方、賛否両論あったようです。

僕自身は学生時代volunteer活動に従事していました。とても素晴らしい時間を過ごして大切なことをたくさん学ばせていただきました。無償で自発的な活動だったから得られたものも多かったと思います。

でもボランティア(無償)に対して嫌な経験をしたことがあって、地域の老害じじぃからの圧力によるタダ働きの強要や地域のため、ボランティアという立場を利用した経済圧迫、労働力の搾取に対しては腹が立ったことがあります。納得のいってないやつです。またこの腹立ちは行動したあとに起こります。
「あー、引き受けんかったらよかった(怒)」的な後悔ですね。volunteerで受けてたら納得してたんだろうか。

何事もお金!というのは寂しいですし、不可能だとは思います。頼み方が善意の押しつけになると摩擦は起きますよね。頼んできた人の人間性にも左右されるんでしょうね。

「いつも世話になってるし仕方ないかー」とか「あー、断れない、しゃない。一個貸しやからなー」とお互い様の関係性での行動は、ぼらんてぃあ活動とは別のポジションだと思いました。

この文章を書いていて、僕自身がvolunteerとボランティアの混同をしていたのだと認識しました。
申し訳ございません。

ただ行きすぎたvolunteer的な行動も何かしら歪みを生んでしまうかもしれない。その考えは変わっていません。
何事も可能性であり、バランスだと思います。

小さな親切、大きなお世話。って言葉は先人の作った教訓だと思います。捉え方、関わり方、その時々の受け取り方の問題できつい言葉にも納得する言葉にもなる双刃の言葉なんでしょうね。

人それぞれ、十人十色でみんなバラバラの正義を持っています。それでも社会を良くしよう、地域を良くしていこう、困ってる人を助けよう、みんな同じ方向を向いてると信じています。

立場や局面、主語が変われば一つの言葉でもニュアンスがずれて伝わる経験をしました。またそこに人間関係も絡み合ってくる複雑な交わりを繋ぐのが言葉であり、コミュニケーションです。言葉って怖いけど深くて面白いなと勉強できました。

volunteerは自己満足とよく耳にしますが、他者があっての満足であり、あなたの笑顔がみたいからがんばるといった欲求や幸福感なしではただの苦行にもなるのかなーと考えました。僕は見返りを求めてしまいます。褒めてほしいし、笑顔になってほしいし、より良い社会になってほしい。聖人君子にはなれないな笑

僕の暇つぶしに付き合ってくださりありがとうござきました。

なんかわからんけど、これからもがんばります!

イェーイ!

かっぱさんさんさん

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