私の人生は何回目?

スピリチュアルな妄想を書きます。デジャブなんて言葉があるけど、この言葉があるのってやっぱり誰しもデジャブを経験するからだと思うわけです。脳が現実のある場面を二重で処理したり、昔の断片的な記憶と重ねたりするとかなんとか原因は解明されてないらしいですね。

不思議なものですよね。私は、私と言う人生を何度も転生して繰り返してるんじゃないかって思うんです。それは,生まれた時代や場所が勝手に固定されて、それぞれ何度も同じ人生をなぞるように繰り返してるんじゃないかと。伊藤博文は何度も伊藤博文の人生を私の知らないところで繰り返し続けてるんじゃないかと考える事があります。それは、繰り返すごとに違うパターンの人生が生まれるんじゃなく、微々たる差があれど向かうところは同じようになってる内容を繰り返すだけ。意味はわからないけどそう感じる時があります。今の自分の人生は何度目なのかと。

もう一つ別案というか妄想があります。それは、電脳コイルのほっぺ文明回のように、私は私の住む世界を構築して私として暮らしていると言う内容。

質量保存の法則とか、食物連鎖とか言う妙に出来すぎた法則を私が勝手に生み出して、今のこの地球や宇宙、生物がいる世界を設定してその中の役者を演じてるみたいな。

もしかしたら私が想像もつかない別の世界の設定の中に身を投じている人がいるかもしれない。と、私は思ったりするんです。

あれもこれも、全部自分視点でしか世界を認識できないのが原因かもしれません。胡蝶の夢ですね。人間は考える葦とはよく言ったものです。

他の人の世界観も聞いてみたいです。


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