埋め合わせとは

生きていると、人と何かの約束をする場面に必ず出くわす。仕事でも学校でもプライベートでも。

その日は何時から〇〇ね。と前もって決めるのはいいけど、ドタキャンになる事もある。

そんな時によく使われる言葉は「この埋め合わせは今度します」であろう。

打ち合わせの予定であれば、違う日に打ち合わせを、映画の予定であれば、違う日に映画を。

目的がいつ達成されるかの差しかないのだから、後ろ倒しになっても問題はない。

まあ、映画は上映期間を逃した日には小さいテレビで見るしかなくなるけど。

しかしね、私は「この埋め合わせは今度」とはなんなんだろうと思ってしまう。先に書いた理屈で理解はできる。べつに違う日に予定を変えれば問題ない。

しかし、例えば今このどうでもいい記事を読んでいるあなたにとって、今日という日はあなたの人生ってでたった一回しかない1日なんじゃなかろうか?

そんな人生で一回しかない1日を逃して、次にまた予定を合わせる。それは埋め合わせと呼ぶのだろうか。似て非なるものなきがする。終わった日は帰ってこない。永久欠番である。accessのキーのように、毎日毎日連番が打たれる。

別に埋め合わせをすると言う言葉以外に、ふさわしい言葉を思いつくわけじゃないし、その言葉が嫌いなわけじゃない。

それでも、私はなんとなく「この埋め合わせは今度する」と簡単に言ってみせるのは後ろめたく感じる。

ただそれだけの話。

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