本を買って思ったこと
タイトル通りである。
先日、仕事で大失敗をしてしまった日。
本来の私であれば死ぬほど落ち込むところだけど、どこか他人事で、まあなんとかなったし、なんならこの失敗は忙しかったせいだよな。とか思いながら多少のダメージを受けていた。
それでも、失敗を引きずったまま家に着けばそこから「ぼっち大反省大会」が開かれるのは目に見えていたので、やみくもに本屋に寄って帰った。
目的は2つ。
1つはスケッチブックと鉛筆を買うこと。
もう1つは適当に読みたい本を買うこと。
スケッチブックについては、中学生の美術の時間を思い出してクロッキーでも描こうかなと思い立ったのがはじまり。昔は美術が好きで、個人的に絵を描いたりもしてたけど、人真似すらうまくできず左向きの人間の顔しか描けなかったもんだからやめてしまった。
それでもとりあえずスケッチブックと鉛筆があれば、落書きをしたり日記を書いたり、思いついた事を書き留めたり、何かの役に立つだろうと考えたのだ。
もう1つの本については、元々興味のある本があった。ケーキが切れない非行少年たちってタイトルだったかな?まあその本は買わなかったわけだけど。
そもそも本なんて普段全然読まないし、読むのが遅い自分に腹が立つからむしろ読書は嫌いな方だ。色々しれるのは面白いんだけど…
でも唯一の楽しく読めるのが伊坂幸太郎の本だ。久々に彼の本を適当に買い漁って読むか〜という気持ちで短編集を買って帰った。
本題はここからで、ここからがタイトルの回収。
帰りのバスの中で、買ったばかりの本を少しだけ読みながら考えたことがある。
それは、私が今から家路に着く途中で自殺をしたらどうなるだろう?ということだ。
正確にいうと、バスから降りて歩きで家まで向かう途中で、自ら走る車の前に飛び出して引かれる場合を考えた。
私は傷害保険に入っているので、事故や死亡時にお金がでる。しかし保険というのは、自殺や事件性があるもの、本人に社会的責任があるものには保険金がでないと決まっている。
でも、死んだ私の所持品に「買ったばかりの本」があったらどう捉えられるのだろう。
今から死のうとする人が、新しい本を買うだろうか?きっと普通に帰って明日以降も読む予定だったに違いない、と考えられるのではないか?
私はその日仕事で失敗をした。そこで本屋に寄らず、ただ車の前に飛びだせば保険金が出ない自殺になった。きっと仕事で失敗をしたから、思い詰めたんだろうと。でも今日は違う。本を買っている。新しい本を。死んだのは仕事で失敗したからじゃない。彼女には明日の予定があったけれど不慮の事故で死んだんだ。
本一冊を買うだけで違う未来が切り開かれる。人生とはそういうものなんじゃないかと思った。
でも実際にこの妄想が現実になったとして、私が死んだその後の世界がどうなったかは観測できないから、買ったばかりの本がどう作用したかは知る由もないのだ。
故にただのノートの落書きになるのだ。
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