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酒呑みの事故弁護

方向音痴です。哀しいほどに方向音痴。
スマホの地図アプリを見ながらなのに
たどり着けません。
そこ出て右に曲がって直ぐだからね
と聞いた直後に左に曲がっているので
もしかすると
路に迷いたいだけなのかもしれません。

…₍₍◞('ω'◞) さておき

以前に暮らしていた街のはずれ
江戸の頃は畦道だったのだろう
住宅地の間のその片隅に
あるお地蔵さんの祠がありました。

酒呑地蔵

名前の印象とは真逆でして
酒に呑まれないでくれ、呑みたくない人に
呑ますなんてことしないでくれ、
というお地蔵さんです。

江戸時代のその一帯は
水捌けの悪い湿地で貧しい農村でした。
その脇に農水路ともいえる
小川が流れておりました。

そんな小さな村で事故が起きてしまいます。

「宝永5年(1708年)
訳あって四谷伝馬町から幡ヶ谷村に雇われて越してきた真面目な青年、瀬平。
農作業や子守りなどほんとに真面目に働きました。その勤勉さに感心した村人が
三十一才となった正月に
招いてご馳走してお酒を飲ませたところ
普段呑まないためか酒に酔い、川に落ちて水死してしまいます。
その後、その青年が村人たちの夢枕に立ち
その村からお酒に苦しむ人をなくすために
地蔵を建ててくれと懇願したので
早速建てて酒呑地蔵としてお祀りしてきました。」

とあります。四谷伝馬町は武家町。そこから寒村に雇われて、は
何か背景があるのを察することができます。
誰が悪いでもないのだけれど
あまりにもリアルなお話で
その切なさから
その前を通る時は必ず手を合わせてました。

その街を離れることに決まったある日
挨拶に寄ったら…居ないのです。祠が無い。
あれぇ、自分が方向音痴だからかしら?と
そんなぁ( ;ᯅ; )とずっと心配していたのですが

いま地図アプリで探したら
そこから近隣のお寺に引っ越されてました。
清岸寺。川から岸に辿り着いたのでしょうか。

謂れとなるその場所から離れてしまったとはいえ
残っていてほっとしました。
忘れちゃいけないお地蔵さん。
いまでも似た事件は後を絶ちませんね。

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