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コロナと寮生活と役職

体育会ボート部は学内では知名度の低い団体だ。大学の施設として専用の艇庫(1F)と寮(2F)を戸田市に構えている。他の体育会が活動している武蔵小杉や市ヶ谷との付き合いはゼロ、「独自の体育会観」が形成されている。4人一部屋/共同風 呂/共同食堂…密を避けられない生活があり、新型コロナ対策として「コロナを持ち込まない」という軸に沿って、ルール外の外出は自粛だ。2021年現在、24時間「体育会」として過ごす生活がここでは営まれている。

・0504_マクロな発言とミクロな発言

私は主将として「自粛をするように」「対策を徹底しましょう」「体温チェックをしましょう」「保健体育センターの指示に従うように」といった啓発やそれに沿った意思決定を行う。部員50名は私の発言を注意深く聞いて、ミスがないようしっかりと記憶する。

ある時、後輩が私に「対策めんどうっすね〜、やりたくないです〜」と気さくに話しかけてきた。

この時、私は返す一言が思いつかず、適当に話題を逸らした。

①否定。普段チームに説いているように「いや、対策はしっかりとしなさい」と言えば、せっかくの彼の雑談を否定から入ってしまい楽しい会話が難しいものとなっていただろう。主将の発言には重みがあり下手をすれば「調子乗ったことを言ったら怒られた」と捉えられかねない。従来の体育会らしさを抜け出し、対話しやすい環境を作りたい私にとって、未だ先輩という立場が強い以上、否定は致命的だ。

②同調。「そうだよな〜」と同調すれば、「え?主将もそう思ってんの?」となってしまう。5月はこのツイートの後、私の発言の矛盾から来る事件(全体ミーティング○時って言ったじゃん事件)が発生した。普段、チームに「自粛せよ」と説いている、私が「対策を面倒だ」と発言すればチーム全体が「対策は面倒だ」ということになりかねない。

随分、自分の立場を高く書いているような内容だが、自粛を通して24時間「体育会」であることを求められる環境(それが常識となっている)では役職を持つ”幹部”の発言は非常に重い。例えば大臣がぷらっと「オリンピックできるかな〜」と発言したとする。これに大臣自身がどう思っていようが「〇〇大臣オリンピック懐疑的」「実質五輪中止か!?」などというふうにそれぞれの解釈が生まれる。24時間一緒にいると会話の頻度も高くネタに尽きると「そういえば〇〇が」みたいな話になりがちで全員がマスコミのような感じだ。

③聞く。「お?どんなところが?」「へ〜」「なるほどね」「考えてみるね」立場を表さない。聞くことに徹する。つい、人は自分の話をしがちだがそこをコントロールすること術が身についた。今振り返れば、これはベストではない。

・0531_猫がいれば寮が平和に…

私は猫好きだ。艇庫周辺に公園事務所から認められた地域猫がいる。練習前には、そんなボート猫たちを眺めている。マスコミ状態のような寮内は、「◯年生のミス」「〇〇さんがこうやって教えた」平時であれば見逃すような些細なミスが「大きなトラブル」として扱われがちだ。コロナ対策は、基本的にミスが許されない、対策の不徹底は練習停止や近隣からの苦情につながる。「対策は必ず守る」が抽象化して「ルールは絶対」というロジックに単純化されている。

そんな時に「猫がいれば、『仕方ないか』ってなって、みんな平和になると思うんですよね」「猫いたらみんなそっちが気になって、些細なミスを見つけようとならないと思うんですよね」という会話が印象に残った。根本的な状況の解決にはなってないが、寮猫はありだと感じ部費で養うならいくらかかるのかを本気で計算しかけた。必ずしもニャンコを寮に招いて良いのかは疑問だが、ストレス解消策を考え、メンタルを整えることが急務である。


・まとめ

閉鎖的な常識から求められる主将としての姿、部から求められる自分、部員の前で在らなければならない虚像の自分像に追い立てられた5月だった。こういう時は、一旦部から離れなければならない。6月は根性で「部のことを考えないようにする」のではなく、一度物理的に場所を移して自分自身を整理整頓したい。5月の疲れを癒すにはもう少し時間がかかりそうだ。

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