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自己紹介から。


はじめまして。さいたまでフリーランスWEBデザイナーをしている よしたけです。

もともと私はWEBデザインの業界未経験で、ずっと独学で時にはメンターなどをつけながらやっていたんですが、2022年6月からInstagramで本格手にWEBサイト制作サービスをはじめました。

ちょっとずつですが対面でお話しさせていただける機会が増えてきたので、改めて自己紹介したいと思います。

普段は わたしのことなんか誰も興味なかろうと思って自己紹介のときはだいぶ端折って終わらせちゃうんですが、なにかの話の折に19歳の時バックパッカーしてたとか、3歳の息子がYouTubeで英語話すようになったとか話すと思った以上に食いついて面白がってくれることが多くて。
これって私を覚えてもらうのにもかなり大事なんでは?と思った次第です。


手っ取り早く、私のターニングポイント的な経歴はこんな感じ。

  1. 19歳、ニュージーランドで1年バックパッカー生活

  2. 帰国して夫と出会い、結婚

  3. ワンチャン移住を夢見て夫婦でカナダへ1年渡加

  4. 妊娠、帰国、出産

  5. Instagramで家計簿アカウントなど情報収集として活用していくうちに、自分でオフ会などを企画するように

  6. コロナ禍で困っている特定の人たちに向けて、クラウドファンディング実施。

  7. クラファン惨敗。必要に駆られて調べたりしていたWEBサイトや画像制作について、知れば知るほど面白くなりWeb制作の道を志す←イマココ!

思えば、小学生の頃から何の教科が好きと聞かれて「図工」と答える子でした(中学になると「図工」が「美術」に。高校になると美術部に入り制作三昧)。

しかし海外への興味はそれ以上に強く、高校卒業したらすぐに自力で貯めた貯金を手に初めての飛行機、ビザの申請、短期間の語学学校の手配をして、単身ニュージーランドへ。

なまじ19歳の多感な時期に一年という短くはない期間ひとりで各地を転々としていたので、考え事をする時間が悠久のようにあって(笑)
自分の人生のこととか、幸せについてとか、哲学っぽいことをたくさん考えました。
ここで自分の人生の軸のようなものがうっすら形づいた気がします。

すっかり海外の魅力にハマった私は、ちょっくら日本に帰ってお金を貯めてまた海外に行こうと思っていたんですが。
その時分に今の夫と出会い、海外に行くよりも優先したいと思える存在になり、23歳で結婚しました。(夫は7つ上)

結婚しても海外への憧憬はなかなか消えなかったので、夫の仕事のある事をきっかけに、2人でカナダへ行くことに。

ダメ元で移住を夢見て、一年経った頃にビザの延長してみようか?と準備している時に子どもを授かりました。
さすがに初産で不安になり、しかも医療費が恐ろしかったので移住を諦めて帰国することに。

それから出産・育児を経て、資格の勉強やクラウドファンディングなど、やりたい!と思えることに出会い、挑戦して、あっという間に今に至ります。

WEBデザインと出会えたのはクラファンでの挫折が大きかったです。

成功させるには認知度を上げなきゃで、SNSでバズるとか、簡単に夢見てたんですよね…。

現実はもうかなり厳しくて。
専門的な知識も知見も全然ないのにあれこれやってみては無駄打ちして、自分がまったく見当違いなことをしているんじゃないかとどんどん自信をなくし……結果は惨敗に終わりました。

穴があったら入って暫く閉じこもっていたいくらい恥ずかしくて悔しかったです。

そこで、敗因はなんだ?と分析してみました。
SNSマーケティング、運用、WEB広告、投稿画像、ペルソナ設定……いやそもそも活動量か?
理由はきっと挙げればキリがないけど、そこから今まで知らなかったWEBの世界の奥深さにどんどんハマっていきました。

ちょうどその時副業ブームでWEB制作が流行っていたのもあり、勉強するには有り余るほど情報が世に溢れていて。

未経験でも取っ掛かりやすい職種といえばよく紹介される、プログラミングとウェブデザイン。

デザインは好きだけど、「正解のないものを仕事にする」「好きなものを仕事にする」というのがものすごくハードルの高いことに思えて、ウェブデザイナーよりプログラマーを目指しはじめました。
プログラミングは数学のように必ず正しい答えがあって、整頓好きな私はなぜか向いてる!と思ったんですよね。コードを整理してかく的な。短絡すぎますね。

そこからTwitterアカウントを作って、気軽にお金をかけずに勉強できることに「なんて便利な時代なんだ」とのめり込み。
いつの間にか知識を身につけることより、いかに有益な情報を見つけるかということに執着している自分がいました。
「知らないことで損したくない」と、SNSで流れてくる有益「ぽい」情報を見逃さないよう、しょっちゅう張り付いていました。

気づけば、「楽しい」「もっと知りたい」と思って入ったはずのWEBの世界が、いつのまにか「稼ぐ」や「初案件獲得」なんてツイートのブックマークに埋め尽くされていました。


勉強しはじめてから一年経った頃、
「あれ……わたしなんにもスキル身についてなくない?」とようやく気づいたんです。

何のために「稼ぎたい」のか?
家族のため。家族でいろんなところに行きたい。海外旅行だって行きたい。笑顔でいたい。
何のために「WEB業界」を選んだのか?
楽しく仕事したいから。奥深くて難しくて、その分可能性もいっぱいあるWEBの世界で人生の時間を費やしたいと思ったから。

19歳のときに考えた幸せについての自分なりの答えに、

いつか来るかもわからない
「大きな幸せが手に入る未来」のために今を犠牲にするんじゃなくて、
「今確実に手に入る目の前の小さな幸せ」を少しずつでも確実に積み重ねていった方が、
いつ死ぬかもわからない人生で、確実に幸せになれる気がする、と考えたことがあります。


情報に振り回されていた時は
「いっぱい稼げたら今より広い家に住んで、家族も笑ってて」っていう妄想をよくしていたけど、
広い家じゃなくても、稼いでいなくても、家族が笑顔になるのは今でも簡単にできると気づいたんです。

逆に、稼がなきゃ出来ないこと、広い家に住んでないと出来ないことって何だ?って考えて。
海外旅行に行く。素敵なインテリアを集めて居心地の良い家をつくる。と思ったんですが、それって今でもできるよな?って。

なんていうか、これって
「俺はまだ本気出してないだけ」状態だったんじゃないか?って。

つらつら言い訳を並べて、「完璧な環境が揃ったら本領発揮できる…!」って自惚れてたんじゃないかって。
(伝わりますか?これ)

今出来るのにやろうとしないことは、きっと未来でもできない。

そう思えてから、スキルを磨くことに全振りすることにしました。
稼ぐとか関係なく、ずっとスキルアップしたいと思えて、楽しく学び続けられること。

プログラミングじゃなくて、デザインがしたい、と思いました。

勉強の仕方も見直して、今まで時間があれば夜中までやったり子どもが幼稚園から帰ってきても隙あらばついPCを触って息子を蔑ろにしちゃってたんですが、そういうことを一切辞め、家族の笑顔なにより優先!勉強はその後!と決めて。

そうやって一周回って振り出しに戻ったみたいな、ごっそりと余計なものを捨ててデザインをやりはじめたら、なぜかご縁やチャンスがどんどん広がっていきスキルを伸ばすことが出来ました。

まだまだ改善点の多いデザインスキルですが、これからも「楽しい!」と思えるような経験をして、自分自身も向上させて、どんどんステップアップできたらな、と思います。

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