彼女のこと
数年前のある日。わたしが働いていた洋品店に、ある親子さんがやって来ました。お母さんと、3、4歳くらい?の女の子。
平日の昼間で他のお客さんも少なく、のんびりした空気。けっこう広いお店だったので、子どもの「あそびば」もあります。大体の親子さんは、別れてしばし、お互いの好きなことをするのです。ママはお買いもの、子どもはあそび。
その日の2人もママの方はそのままお店の中をひと巡りしに行きました。ですが、小さい彼女の方はというと、全く「あそびば」には興味がない様子です。
ママとつないでいた手を離した瞬間、彼女はひとつ、大きく前に踏み出して、手のひらを突き出しました。
「おお、なにかがはじまったようだ」とカウンターの中で書きものをしていたわたしは注意を向けました。
真剣な顔。ちょっと眉間にしわがよっている。動きは空手とか太極拳みたいな、ステップと、両手の動きが交互に、そして時々同時に。
彼女はどうやら踊りはじめたようです。
彼女の動きを見た途端、わたしは引き込まれていました。それはつまり、彼女のリズムに。お店には音楽がかかっていましたが、彼女の動きとは関係がありません。
ちょっと遠くの方で唐突に始まったので、全身が見えなくなりそうになり、わたしはカウンターから身を乗り出しました。その時、彼女はこちらに気づいてわたしの顔をじっと見つめました。
わたしたちは少しの間見つめ合っていました。そして次の瞬間、彼女はにやりと笑ってわたしがいるカウンター前のスペースまでやって来てくれたのです。
わたしはとてもうれしく感じました。観客として認められたということです。子どもがそういうことをしているとき、「誰かにみられている」ことに気づくと照れてやめてしまうこともあるけれど、彼女にとって「踊り」はもっと大きな意味を持つことなのかな、と思いました。
つま先から軽く足を踏み出し、でも上半身の動きはとても力強い。呼吸。生きものとしてのリズム。じぶんのリズムだけでこんなに踊れるなんてすばらしいな、と思いながら、わたしもみているうちにカウンターを指先でとんとん、と叩いたりしていました。彼女がわたしのリズムも一緒に引っ張り出してくれたのかもしれません。
その時に、「ああ、彼女は踊ることでこの世界とつながっている」と思いました。そして、そこに偶然居合わせたわたしも、その間、つなげてもらえたのかもしれません。子どもって不思議だなあ。
数分間のパフォーマンスは彼女のママが戻って来たことで、唐突に終わりを迎えました。なんとなく、彼女のママは彼女の踊りについてはいい印象を持っていないようです。なかなかそういうのってむずかしいよね。でも、彼女には踊り続けてほしいなあ、と思ったのでした。
あと、わたしはわたしのリズムを見失わないようにしないとね。せっかく引っ張り出してもらったんだから。