一人喋りについて(2023/10)
「雑踏」一人回2回目です。
今回はまさに、一人喋りについて考えていきたいと思います。ラジオとか、ポッドキャスト、YouTubeにおける一人喋りです。僕は長らく一人喋りが苦手でした。聴く方も苦手だし、話すのは当然苦手。二人以上のやりとりや掛け合い、会話を聴くことには楽しみを見出だせる。けれど一人喋りは、一体どういう心持ちで聞いたらいいのかわからない。よく、一人喋りは自分に話しかけられているように感じるって言うけど、違うから。全然そんな風には思えない。
舞台演芸の漫談は楽しめます。漫談は客席との掛け合いがあるから、純粋に一人だとは感じない。ラジオやポッドキャストにおける一人喋りは、完全に一人です。客席というなら、ラジオもリスナーからのメッセージに延々と答える方式があります。あれは聞きやすい。
例えば「江口拓也のボッチラジオ」という番組が10年ぐらい前にありました。声優の江口拓也の元に送られてくる、リスナーの一人ぼっちエピソードをひたすら読み上げ、ダメージを食らうという主旨。あれは面白かった。
もしくは延々と曲をかけるFMのラジオ。これも一人喋りであることをあまり意識しません。村上春樹の「村上RADIO」なんかはそれにあたります。進行が一人というだけで、喋りがメインではない。
他にも、パーソナリティーが一人でも、その場にいるスタッフと掛け合いをしているケースがよくあります。あれもそんなに違和感ないから、「どういう心持ちで聞けばいいかわからない」というふうにはなりません。
聞く人に語りかけてくるような、本当に一人「喋り」をやるコンテンツが合わず、これまでほとんど聞いてきませんでした。だから、一人喋りの世界を実はあまり知りません。食わず嫌いかもしれない。
しかし、そんな私でしたが、LISTENの声日記をやることになりました。声日記は、僕が苦手な、そこにいない誰かに対して一人で語りかける一人喋りではなく、声で日記をつけるだけ。これだったら「一人喋り形式」であってもできるかもしれない、と思って始めました。同時に、始めるにあたって、人の声日記も聴くことにしました。
他の人の声日記を聞いてみれば、声で日記とは言うものの、けっこう普通に一人語り、一人喋りを行っている。日記っぽさはあまりない。ただそれは僕が思う日記っぽさであって、実際の日記でも形は様々で、誰もが今日あったことを書き連ねる日誌のようなスタイルではないでしょう。今日、このタイミングで思ったこと、感じたこと、考えたことを書くスタイルもあるし、それも立派な日記だと思う。語りかけるような文体の日記があってもおかしくありません。そうなると、一人語り、一人喋りと、声日記の境界は、実はあいまいなのかもしれない。
僕は「声で日記をつけるだけなら、自分にも出来るかもしれない」と思ったけれど、実際にやっていることは、ラジオやポッドキャスト、YouTubeの一人喋りとそう大差ないのではないか。つまり、意識の問題ではないか。そういう結論に至ったんですね。
その結果、今度はこのポッドキャストでも、一人喋りが出来るかもしれない。そう思って一人喋りを始めた次第です。一人語り、一人喋りについては今でも正直違和感があり、苦手意識は拭えていませんが、このままちょっと様子を見てみたいと思います。
ご意見ご感想をお待ちしております。一人喋りについて、共感してくれた部分があったり、もしくはあなたの思うことがあれば、コメントやTwitterでお待ちしております。それでは今回はこの辺で
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