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みんな違ってみんないい、それがいい

私の師匠が教えてくれた言葉です。
それを改めて感じる出来事がありました。

最近、授業で人間の発達について勉強した息子。
自分の赤ちゃんの頃のエピソードを私によく聞いてくるようになりました。
息子は言葉を話すのも、歩き出すのも遅くて、ご飯も好き嫌いが多くて本当に心配しました。

また、駄々をこねたりしない子で、欲しいものがあったとしても、「本当にいるの?」って聞くと「うーん。今じゃなくてもいい」とクリスマスや誕生日まで待つことができる子でした。
なにせ一人っ子なので、クリスマス、誕生日には親戚などからたくさんプレゼントを貰えたので、そこまで駄々こねる理由も無かったんじゃないかなぁとも思っています。

でも、自分があまり駄々をこねなかったことを疑問に思った息子は、家庭科の先生に
「駄々をこねる子と、こねない子の違いはなんですか?」ときいたそうです。

家庭科の先生は、

「駄々をこねるのは普通の子。駄々をこねないのは異常で、そもそもそんな子はいないよ。いたとしたら虐待を受けてる子だ」

と。

さらに

「ちゃんとした成長ルートを通らないと何もできない子になっちゃうんだよ」

とも言ったそうです。
それを聞いた息子は

「あー。おれ、どれも成長ルートから外れてるから全部アウトじゃん」

って思ったと。

息子の話すことなので、もしかしたら色々端折っての、この話なのかもしれませんが、少なくとも、彼は自分が否定されたという印象を持ったようです。

この話を聞いて。

子育てを色々悩みながらやってきた母親として、なんとも残念な気持ちになりました。

《虐待》というなかなか強めのワードを簡単に言葉に出すあたりの配慮のなさに、強い怒りも実際沸きましたが、先生でこの考えだもん、いじめとかなくなるわけないなーと。

先生と名のつく人は、やはりもう少し慎重に言葉を選んでほしいなぁと思いました。
私が傷つけられるのは、まだ我慢できますが、息子を傷つけることはちょっと許せないなと。
そして、「普通」と「異常」を話す時は、「個性」という概念も組み込んでいただけたらなぁと。


色んな人がいていい
みんなが同じなわけがない

それを「正常」と「異常」の2つにわけるセンスのなさ。
きっと、この先生もそんなつもりではなかったんじゃないかとは思います。
しかしながら、そんなつもりではなくても、傷つく人がいる。
それを私も肝に銘じようと思った出来事でした。


優しい世界になることを願って。

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