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勘違い

冬の朝は、まずカーテンを開けて、雪が積もってるか積もってないかを確認するのが北海道民の習慣だ。

今朝は10センチほど雪が積もっていた。
ふと見ると、雪かき用のスコップが2本あったうち、1本が見当たらない。
壊れた?車の下に入っちゃった?
どこ探しても見つからない。

あ!
そういえば、昨日の夕方、息子が雪かきしたっていってた!
あー!
その時、裏の雪山に穴掘って遊んで、写真撮ってた!
息子のやつ、雪山にスコップ置いてきたなー!
もう雪が積もったから探すのは難しそうだ…。
なんで元に戻さないかなぁ…。
起きてきたら、言わないとなーって思っていたら。

私の母が、無くしたスコップを探してきた。
「隣のばーちゃんとこにあったわ」
隣のばーちゃんは他人のばーちゃん。
なんで、隣のばーちゃんち?

昨日息子と私の母が雪かきしてたら、隣のばーちゃんは、1人で雪かきしてたらしく。
隣のばーちゃんは、2週間前に旦那さんを亡くしたばかりで、元気もなくて。元々、腰が悪いのも知ってる息子は、雪かきを代わりにやり、
お礼にお茶飲んで行ってよ!とばーちゃんにお茶に誘われて、亡くなったじーちゃんとヤクルトで乾杯して帰ってきたんだそうで。
その時に、スコップを忘れてきたようで。

これは、うちの息子偉いでしょ?っていう話ではなくて。
物事を「解釈」で捉えたら大きな誤解を生むって思って。
私はスコップがなくなったことに怒りを感じていた。いろんな事実から息子が雪山にスコップを置き去りにしたと思い込んだ。
でも、事実は全然違った。

こういうことは日常生活でたくさんある。
「事実を事実として捉える」
偏った情報だけで物事を判断するのは、コミニュケーションだけでなく、日常生活や仕事にも影響する。
「自分が正しい」と思っていることを「自分は本当に正しいか?」と自分に問えるようになれるとコミニュケーションのエラーも、仕事のミスも少なくなるのかもしれない。

でも、息子に使ったものは元に戻すことは言っておかねば。

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