見出し画像

クラウドファンディングが金銭価値から社会価値を優先する意識変化を導くかと期待したけど主宰者のビジネス優先が醜い

もう8年ほど前になるのだろうか?
母が他界した年に久々にインドを訪問した
学生の時、インドを放浪した印象はたぶん人生で
もっとも輝きを放っている

人生観、世界観、死生観、とにかく人生に人格に個性に
必要な要素がインド放浪で一気に書き換えられてしまい
筆者の人生は一変した
そのインド放浪からいまだに筆者の頭の中では放浪人生が
続いている

その奇跡の時は世界中から若者がインドに集結していた
その中に筆者もいて「なんだぁ〜これがインドか?」
「このインドの永遠は未来永劫と変わりゃしない!」を
合言葉のように世界基準にそぐわないインドの風習に遭遇した時
叫んでいた

そのインドが激変している!
と度々ニュースで聞いた
その都度、あの灼熱のゴミ箱の中を這いずり回ったような
新鮮な青春の熱き一コマが頭の中に浮かんでいたが行けなかった

ただ過日を懐かしむ旅には興味がない
それで「世界の安寧を祈る」をテーマにガンジス川の
沐浴を写真集に収めようと旅した

その際にはクラウドファンディングを知らなかったので
facebookでカンパを募った
上掲のテーマの写真集などこの不景気下で引き受ける
出版社などどこにもない
インドファンは世界中にいるが明らかにマイナーな存在
そんなインド写真集など売れるわけがない
出版された履歴をチェックしてもフランスとかイタリアなど
文化色の強い地域に限られていたので日本ではまったく
見込めない

それで渡航費用+出版費用を込みにして350万円の
カンパを始めた
どうしようかと考えて1口5000円とした
もちろんカンパを正当化する記事をSNSに毎日書いた
すると予想に反して20000円前後のカンパ件数が
多かった
・・・けど、出版費用には届かず
渡航費用は十分という結果だった

・・・で、渡航を決心した!
出版については、後で考えて出版して、東京、名古屋、大阪で
出版記念イベントを開催すると決めた

予想通りに他人の意思とか行為とか気持ちに共感する
人々を探せるのがネットであり、その共感を共有に変えるために
対価を支払う行為までを含めた共生感覚を深く味わけた

ところが、逆もあった
個人的な趣味とか望みを叶えるために
他人様に命よりも大事な金銭をねだるとは
親の躾を疑う。ここまで夜行列車に乗ってでも
会いに来い〜目の前でど下座しろ!そうすれば旅費と
5000円は恵んでやる
・・・と怒鳴り込んでくる人々も結構いた

そりゃぁ、人それぞれ・・・で
様々な人種の構成があるほどに社会は楽しいのだけど
この記事で主張したいのはクラウドファンディング
クラウドファンディングが社会に登場した時
筆者は狂気乱舞気分を味わった
新しい金融が始まると!

筆者がカンパの時に期待した
行為や気持ちを共有する対価としての支払いという
価値観を持つ人々が数多く誕生している〜と
期待したのだけど、昨今のクラウドファンディングを
見ていると失望感が漂う

カンパの時の後述の人種が目立ちすぎるのだ
・人情に訴えかけて人情に縋る
・既に数多くの仲間に支えられているから安心できる
・日常の生活に支障のない少額支払いを求める
つまり、リスクのない優越感を煽ってるクラウドファンディング
って、一体、何もの?何様??と見えてしまう

なぜなら、田舎生活を希望する人々は増えている
田舎生活を実現するには様々な価値観の融合が不可欠
そして、田舎生活でも多少の先行投資は必要で
その先行投資を価値観の共有という観点で
クラウドファンディングが活用できると踏んでいるのだけど
上述のようなのが実態であればクラウドファンディングよりも
まだカンパという私的な共感募集という手段にならざるを
得ない







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?