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枝葉末節

こんにちは、こうんです。

デザインの関係で、大阪に来ました。

秋田から仙台まで高速バスで移動し、
仙台から大阪までまた夜行バス。
今日は久々にホステルのドミトリーで泊まります。

短時間とはいえ、こういう、コスパ重視の旅行プランは学生のとき以来かも。コロナが流行りだして、夜行バスやドミトリーは躊躇していたし。

我ながら体力がついたものだと、感心もしています。
3月に東京に行ったときは、ドミトリーに泊る元気はありませんでした。プライベートな空間じゃないと、疲れが取れないと感じていました。

何気に、大阪に一人で来るのは初めてかも。
去年は父と来て、その前は高校の修学旅行のとき?

知らない土地なので、やはり緊張はしていて、心の中で一人エセ関西弁で話してしまったりしています。


枝葉末節

先日、地元でマルシェがあり、運営の友人が声をかけてくれて当日ボランティアをしました。

「0円フリマ」なるものがあり、私はそこで店番をしていました。
フリマには、子どもの洋服や、本、雑貨用品など様々なものが並べられていました。

その中の一冊をパラパラと読んでいたのですが(店番失格?笑)、その中の一節が最近心の中でぐるぐるしています。

その内容は、
「あなたがこだわっていることは、枝葉に過ぎない。」
というものでした。

月並みな表現になるけれど、はっとさせられました。
正確に言うと、その場ではっと衝撃を受けてのけ反ったとかいうのではなくて、うすーく判子を押されて、だんだんインクが濃く写って来たみたいな感じです。

最近の私が考えがちなことは、枝葉だったのかも。幹や根っこの方がしっかり描かれていないのに枝葉を生やそうとするから、うじうじと、いつまでも考えては、落ち込んだりしていたのかも。

私が最近囚われていたのは、こんなこと。

どんな街に住むか。
どんな家に住むか。
どんな服を着るか。
どんな仕事をするか。
どんな人と働くか。
どんなインスタ投稿をするか。
どんな人のところで学ぶか…

などなど。

それもそれで大事なのだけど、
その前にもう少し考えておきたいことがあったのではないかと、思い当たったのです。

わいは、どう生きたいのか。

「君たちはどう生きるか」みたいだな。
Material(物質的)なレベルではなくて、spiritual(精神的)というかabstract(抽象的)なレベルでどうするべきだと考えるか。

それが分かっていたら究極、細かいことはどうでもいいのかもしれない。

だから、部屋が散らかっていることも気にならなくなってきました(←これは別次元の問題?笑)

別に聖人になりたいわけではなくて、
なりたくたってなれるもんじゃないし、
絶望した気持ちで毎夜床に就くのではなくて、
地に足を付けて、
ある程度の充実感を持って生きていけたらいいなと思う。

私、結構わがままだー(笑)


話は変わりますが、この間マルシェでナンパされました。
おなじくボランティアのお姉様とご飯を食べていた時のことで、その方目当てで多分近づいてきたと思われるのですが、上手く断り切れず仕事の名刺を渡してしまいました。
そしたら先日の夜、そのナンパ師から電話がかかってきたのです。
名刺の電話番号をそんなことのために使われるとは…泣
渡したのは私だから仕方ねーか。
でも、忙しかったのもあって、腹が立ちました。笑

でも…考えてみると、その人の行動力すごいよね。
知らない人に突然話しかけて、連絡先を何とかゲットして、行動を起こせてしまうそれ。
私もどちらかというと、衝動的に動けてしまう方なので、気を付けようと思いました…。


ここまで読んでくれてありがとうございました!
またの!

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