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はじまりはゲーム会社勤務

大学の専攻はゲーム業界に全く関係のないものでした。

その昔、ソニーがプレイステーションでゲーム業界に参入した頃。
「ゲーム業界には面白い人材が集まる」と言われていた頃に、就職活動をして、小さなゲームメーカーに入りました。

いちから教わる

まだ一般家庭にパソコンはそれほど普及していなかったと思います。
卒論は昔懐かしいワープロで打ちました。
そんな時代に、CGを一から教えてもらいました。
PCの基本的操作、「立ち上げる」「エクスプローラー」「コピペ」と言ったことから始まり、Photoshopでのドット絵やテクスチャ制作、3Dポリゴンモデル制作、データ制作など必要なことを教わりました。
絵も毎日描きました。キャラクター案やステージ背景、アイテムなどあらゆるものを。
お給料をいただきながら教えてもらえるというのは恵まれた環境だったかもしれません。その分の労働は後に返したと思います。
と言うのも・・・

休みがない。

もう週休2日制が普通だったと思いますが、土曜日は平日同様に出勤でした。納期前は終電まで働きました。徹夜組もいました。
日曜日は、午前中休んで午後から出勤なんです。週休0.5日。
今思うとアタマオカシイ(笑)

休みなく毎日CG制作をしていたので、技術に関しては格段に成長しました。
お給料も高くはないけど、使う暇がないので不満に思ってもそれほどでもなく、そもそも不満な人はすぐに辞めていましたし、感覚もマヒしていました。
そんなブラックな環境でも、ゲームを作れる、大勢で一つの物を作り上げるというクリエイティブな仕事が楽しくて、甘んじて受け入れている社員もいました。

しかし長くは続かない。

そんな無茶な生活ができるのは若いうちだけです。
身体を壊していく先輩・同僚を見て、結局4年弱で転職を決意しました。

転職活動は有利でした。
当時CGの最先端は映画業界とゲーム業界だったので、ぜひうちに!と言って下さる企業もありました。
でもそれは、前社のとき同様、馬車馬のように働くことを期待されての「欲しい」だったのです。
私はもうそこまで頑張りたくなかったので、週休2日制、全く別業界で、かつCGの経験が生かせる仕事を探しました。

その頃になるとwindowsが普及してインターネットが当たり前になり、「テレホーダイ」「ネットサーフィン」「巡回」と言ったワードが出て来ていました。
私は独学で自分のホームページを作成し、他のデザイナーさんのHPを訪問しては掲示板にご挨拶したりしていました。
その経験もあってデザインの試験に合格し、webもできるインハウスデザイナーとして第二種通信事業者へ転職します。

ゲーム会社での経験は無駄ではなく、今なら専門学校で学ぶようなことを学べたと思います。その分の労働も十二分にして来たので、思い残すことなく次へ行けました(笑)

続く予定。

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