見出し画像

あの事、この事、勉強と

職人20年とバイヤー5年、工作歴45年
今に思えば、全部必要な事だったし、その他の人生の出来事も必然な事だったのかと思う。

過去を振り返りながら、なんでこんな事をしてるか(彫刻切り絵)なんでこうなったのか、どんな思考をしてるのか、どんな奴なのかと、知ってもらったら面白いかなと思い、綴って行こうかなと思います。


大学の卒業と同時に、アメリカの牧場で研修と名ばかりのワーカーで一年間過ごしました。
辛くてリタイヤする奴が多いときき、どんなもんかなと、いきがりと興味が半々な感じで。

実際にはいやはや大変でした笑
1週間で7.8キロ痩せ、毎日筋肉痛
賃金も研修と名の下で激安なので、食べる物もあまり買えず、同じ牧場のワーカーのメキヤン(メキシコ人)に豆を恵んでもらったり、ポテトサラダを作って朝、昼、晩毎日とか笑

痩せ我慢も半年までは持つのですが、話す人も居なく、毎日腹が減り、重労働(メキヤンが仮病を使い、夜勤の乳搾りをバックれるため、明け方まで1人で700頭の乳搾り、+昼労働)

あー、こういう事ねと、身を持ってリタイヤした方々の体現をするわけです。
後半なんか、毎日秒を数えて生きてました笑
あと何秒で帰れるって
後にも先にも、人生を秒で換算したのはこれが最後でした。
でも、心身共に疲れきった中に、デッカい肥溜めに沈む真っ赤な夕陽を見た時、初めて綺麗な景色をみた気がして、生きてるな俺って何故か思いました笑
人はこんな状態の時、そのまま落ちてしまう事が多いと思いますが、そんな時こそ気づけるチャンスなんだとこの時気付けた気がします。

そして何より、とても大事な物をこの経験によって手にする事が出来ました。

この経験よりまだマシ…。
どんな事があってもあの研修よりはマシだと思えるんで笑

また、メキヤン達との関わり合いの中で、初めははっきり言って馬鹿にしてたんです。
食う、寝る、ヤルだけの話しや、学校もロクに行って無い人ばかりでしたので。

でも、そこでも思い知らされるんですよね。
生きて行くって事に、自分はなんて非力なんだと。
学を鼻に掛けて何も出来ないと笑
日本ではそこそこ器用で体力にも自信があったり、負けたなーなんて思った事なかったんですから笑

今から思えば、あの経験が2度と行きたくは無いし、いい思い出なんて一つも無いのだけど、とても大切な事だったなと思います。簡単な言葉だと、底ってやつですかね。

研修終わりに、アメリカ全土に派遣されて、生き残った同士(初めに一回会っただけですが)と再会をして、20人位の男同士で真っ先に日本食屋に入ったのですが、見事にみんなカツ丼を頼み、横並びのカウンターで食べてたのですが、ふっと見ると、みんな泣いてるんですよね。
カツ丼食べながら。
それだけで、みんな大変だったんだなと、分かり合えた気がして、カツ丼で日本人は泣くって貴重な体験も出来ました笑

おいおい全然彫刻切り絵と関係ないだろとツッコミたくなると思いますが、この出来事が無かったら、多分ボヤァ〜と生きてただけだったのかと思い、人生の方向を決める底になったのは間違い無いと思います。

お前、なんで生きてるの?

ずっと自分にそう問いをしてたのですが、さっぱり分からなかったのですが、自分の底がわかって、自分の形の在り方を知る勉強になりました。

次回、あの事、この事、勉強とパート2
バイヤー編

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?