モトヒコのその後

《小説》

ニキは言った。

「もう、セナの事故から20年が経つんだな。セナの死のように、多くの人が何年も前のある特定の日、自分がどこで何をしていたのかを忘れない、という、そういう印象を遺すというのはすごいことだよな。」

ニキと僕は大学1年の時に出会った。ニキの苗字は二木(ふたつぎ)という。当時僕らは彼に「ゴルフ」というアダ名をつけた。最初にゴルフと呼んだのは僕でそれが広がったのだった。しかし、当時は日本でもF1(フォーミュラ・ワン)の人気がすごくて、二木はそれにちなんで、

「俺はニキ・ラウダのニキだ。こぶ平のゴルフじゃねーんだ。」

と、精一杯の抵抗をしていた。ニキ・ラウダは既に当時もう引退していたけれど、伝説のドライバーとしてF1のファンならその名前や、大事故や奇跡の復活の話を知っていた。ニキが3ヶ月くらい「俺はゴルフじゃない!」と言い続けていたので、終いには僕らもどっちでもよくなって(それにニキという発音はそれでも二木ゴルフに通じるし)ニキ、と呼ぶようになっていた。

当時、ニキは仙台市内の八木山という山の中腹の坂道に面したアパートに住んでいた。5月1日はニキの誕生日で、僕らは彼の部屋でケーキを囲んでいた。つけたTVではF1中継でセナの事故を伝えていた。

「あの時付き合っていたクミちゃんっていたじゃん?」

唐突にニキが言った。クミちゃんというのは、仙台市内にある私立大学に通っていた綺麗な女の子だ。本名は久美じゃなくて久美子、だったと思う。ニキと卒業前の数ヶ月付き合っていた。

「いたねぇ。可愛い子だったよな。」

「この前、仙台に帰った時に、偶然見たんだよ。」

「見たって?会ったんじゃなくて?」

「うん、見た。俺が藤崎(仙台のデパート)の地下のエスカレーターから上がって来た時に反対側から歩いてきたんだ。最初は『あれ?なんか見たことあるようなぁ。。』って思っただけだったんだけど、すれ違ってすぐに思い出したんだ。あれはクミちゃんじゃないか!って。

慌てて振り返ったんだけど、もう彼女の姿は地下に消えていて、一緒にいた旦那と思われる男性の後頭部が地下に消えていくところが見えただけだったんだ。」

「へぇ、そうか。みんなそれぞれ、その後の人生があるんだな。」

「うん、ホントそうだな。」

「でも、なんで急にセナの話からそこに飛んだんだ?」

「あの頃、セナは34歳で、僕らよりもまだひと回り以上も歳上だったろ?ところが、今じゃ僕らはセナよりも歳上で、クミちゃんも僕もそれぞれ別の相手と付き合って結婚して、そしてあの連れていた子供は多分クミちゃんの子供だと思うんだけど、僕も結婚して子供もいて、なんかそう考えると、20年間ってのは随分と長い期間なんだなって、思ったんだよ。

特に今年はセナの没後20年ということで、色々な雑誌の広告でセナの特集号の表紙なんかを見るだろ?写真の彼は相変わらず30代の若者でさ、一方で同窓会で会ったり、Facebookでみかける俺らの同級生の顔には皺が刻まれて、白髪になったり禿げ上がったり、太ったりして、すっかりもう中年になっているんだよな。」

「そうだな。まぁ、俺達自身も歳をとってるけどな。」

「ところが、そんな昔のことなのに、セナの事故の第一報を聞いた時は、お前やモトヒコなんかが俺の部屋にいて、まだ5月なのにお前が緑のサマーニットを羽織っていたことなんかもしっかり覚えているんだよ。」

「お前は、HARVARDって書かれたパーカーを着ていただろ?」

「あぁ、そうだったっけ?確かに持ってたけど自分の服装は覚えてないよ。あの頃はGAPとかなかったもんな。」

「なかった、なかった。あの頃、ブランドの服は極端に高くて、今みたいにそこそこお手頃で品もいい服ってあまりなかったよ。」

「そう言えば、モトヒコって今どうしてるか知ってる?」

「。。。お前。。。本当に覚えてないのか?」

「何を?」

「そのぉ。。。モトヒコってのは、あの少し前にお前が事故で頭を強く打ってからお前にだけ見えているっていう幻想なんだよ。」

「お前、何ふざけたことを言ってんだよ。俺が事故に遭ったって?」

ニキがそう言ったので、僕は彼に鏡を差し出して彼の顔を見せてやった。彼の顔には、事故で大やけどを負った痕が残っている。

彼は大学を卒業後、総合商社に入って原油を取り扱う仕事に就いたのだが、その5年後、出張先のサウジアラビアで自動車事故に遭い、奇跡的に一命は取り留めたものの、全身火傷と、記憶障害を負ってしまっている。

毎年5月1日の彼の誕生日に、彼を見舞うのが15年前からの習慣になっている。そしてその度に、ニキは思い出話をして、存在しないモトヒコのその後について僕に質問をするのだった。

彼を見舞うのは、友人だからなのか、或いは因縁深いあだ名を彼自身に名乗らせる原因を作った(ゴルフと呼び出したのは僕だ)ことに対する後ろめたさなのか。多分その両方なのだろう。

そろそろ来年あたり、ニキの質問に応えるために、モトヒコの物語を考えておかないといけない頃なのかもしれない。

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