黒い自由、白い自由
Aさんと少し会話をする。その中で、Aさんにとっての自由は、手帳を真っ黒にすることらしいとわかった。Aさんは、自身の裁量で自由に予定を決められながら、休みらしい休みはなかった。プライベートでは世界中の景色を見てまわりたいと言っていた。世界にはまだ見ぬ風景がたくさんあって、生きているうちに見ないともったいない、と目をかがやかせた。
Aさんの真っ黒な手帳にならえば、私にとっての自由は手帳を真っ白にすることだった。私は過去にAさんとおなじ志向を持って手帳を塗りつぶすことに生きがいを感じていた時期がある。しかしながら今は対極の価値観にいる。その過程はひとことでは言えない。今はなにものにも追われず、なにものも追わず、ささやかに、ひそやかに、この世の余白に暮らしたいとおもっている。こんなご隠居さんのような私の枯れた考えを聞いて、Aさんは「まだはやい!」と叱るように笑った。
しかし、対極にいるはずのAさんと私とは、自由で心ゆたかな人生を尊ぶ核心では共通しているのだった。おなじ「自由」も、価値感のちがいで黒と白ほどに表現がことなってくるのはおもしろい発見だった。
ところが両者をならべてみれば、真っ黒であることも、真っ白であることも、同類の不自由さをふくんでいるようにも見えてくるのだった。
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