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M子の災難


 高校時代のクラスメイトAと落ち合って居酒屋へ向かった。
 「M子さん、熱が出たんだって」
 Aは出会って早々、M子さんからキャンセルの連絡があったことを打ち明けた。M子さんも同じクラスメイトである。今日はAとM子さんと私の三人で杯を交わして旧交を温める予定だった。

 私とAとは成人してからもちょくちょく遊んでいた。先日、Aが「M子さん、いま店長やってるらしいよ」と言うので、二人でM子さんの店を冷やかしに行ったのである。M子さんは小さなブティックの雇われ店長をしていた。上の階には、むかし殺人事件のあった高利貸しが今も入っていた。
 M子さんと顔をあわせるのは卒業以来だ。面影は変わらないものの、彼女の醸すギスギスした印象が気になった。彼女の喋る内容も下品に感じた。こんな人だったかなと私はおもった。よく思いだせば、そんな人だったような気もしてきた。しかしよくよく思いだすと、たいした交友もなかった。
 そんな腐れ縁で、今日の飲み会にM子さんも誘ったのである。

 あくまで私とAの飲み会が主題だから、「まぁしょうがないね」と言って、私たちは二人で店に向かった。
 店は住宅街にまぎれた目立たない場所にあった。「隠れ家的」という訴求イメージに惹かれて私がネットで見つけておいた店だった。
 まだ時間が早いので客は私たちだけだった。一般住宅を改修してこしらえた店のようだ。内装は、散漫とした、ちぐはぐな雰囲気だった。壁は和風なのに床はフローリングで、フローリングの脇に床の間がある。床の間には古汚い置物が飾ってある。飾ってあるというより、置き場がなくて隅に片寄せてある様子だった。なんだか土足で家に上がっているような変な気分だった。「隠れ家」とは便利な言葉だとおもった。
 テーブル席に座って注文をするとすぐに品が運ばれてきた。しんとした店内で私たちだけの乾杯をした。

 椅子が温まってくる頃には、客が一組また一組と現れ、店内はにわかに賑わいはじめた。Aは酔っ払って顔を赤くしている。
 私が、ふと、Aの肩越しに店の奥へ目をやると、どこかで見たような顔がソファ席に座っていた。M子さんだった。
 M子は器量良しの若い男と談笑しながらお酒を飲んでいた。私は声を潜めてAに伝えた。Aのでれでれした顔が真顔に戻り、奥を振り返る。私たちがチラチラ見ているので、向こうも気が付いたようだった。しかしM子は意にかえさず愉快に飲み続けていた。私たちはすっかり酔いが覚めてしまった。

 気を取り直して再び杯を上げていると、Aの背後から、ぬっとM子が現れた。M子は柱にしおらしくもたれながら、甘えた声でAの名を呼んだ。Aは、
 「熱大丈夫か?」と、すっとぼけて聞く。
 「薬飲んだけどまだちょっとだるい」と、向こうも負けずにすっとぼける。そうしてわざとらしくふらついてみせた。
 「また今度飲みいこうな」と、しらじらしくA。
 「うん、また連絡するぅ」と、ふてぶてしくM子。
 M子は柱に手をついて病人らしく気だるそうに身をひるがえすと、あとはスタスタと足早に席へ戻っていった。私とAは呆れた顔を見合わせた。先日、M子さんの人相や言動に感じた違和感が、ここでなんとなく腑に落ちた気がした。
 要するに、人生いろいろだ。

 それにしても、縁があるんだか、ないんだか、市中に何十、何百と飲食店があるか知らないけれど、こんな郊外の地味な個人商店で、さっき嘘をついて蹴ったばかりの私たちと鉢合わせをするなんて、M子さんの災難にはさすがに同情してしまった。
 私はM子さんの熱が早く下がることを祈って杯を飲み干した。




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