老婆と子犬
一日曇りがちだった空が夕方になって雨を降らし出し
た。弱い雨だが、さいきんはスコールのように短時間で
豪雨に変わるので、念のために長靴を履いて家を出た。
スーパーマーケットの前の歩道に、子犬を連れて歩く
老婆がいた。老婆は合羽をまとっている。子犬のほうも
ていねいに合羽を着させていた。老婆は腰が大きく曲が
り諸手に杖をついていた。歩くのがやっとという枯れ枝
のような婆さんである。その一方の杖の手元から犬の首
紐が伸びていた。
もしも紐の先の小さな獣が走り出したら、この老婆で
は抑えることができないだろう。しかし子犬のほうはし
きりに老婆を見遣りながら、けっして飼い主より先に歩
を進めることはなかった。老婆を労わるように同じ歩調
で歩いた。紐は一定のたるみを保っていた。
子犬は道端を鼻でなぞって歩き、気に入った場所があ
ると腰を下ろしかける。ところが老婆は犬の存在など忘
れているかのように、そろりそろりと進んでいく。首紐
が伸びきると、犬は下ろしかけた腰をあげて老婆に追い
つく。そうして再び飼い主に伴走しながら小刻みに鼻を
振っていった。
老婆の白髪が雨に濡れて皺だらけの顔に張り付いてい
る。その土くれのような顔に小さな穴が二つ空いている。
そこには魂の抜けた真っ暗な窪みがあるだけだ。つぶら
な瞳の子犬はどんなに生き急いでも老婆の年齢を追い抜
くことはない。
私は歩きにくい長靴を無暗に蹴り出して、足早に老婆
と子犬を追い越した。
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