O先生の眼鏡
中学校での掃除の時間は昼休みにありました。給食を終えてから校内放送で合図がかかると、私たちは各自の持ち場へ散っていきました。
私の持ち場は廊下のつきあたりを折れたところから、階段の手前までの短い廊下でした。そこはいつも薄暗くてひと気がありませんでした。
掃除の時間といっても半分は自由時間みたいなもので、モップにすがって井戸端会議をしている子や、掃除用具ではたき合ってじゃれている子たちの黄色い声が、いつも廊下にあふれかえっていました。
そのにぎやかな喧騒を遠くに聞きながら、私はしんとした廊下に一人這いつくばって、黙々と雑巾掛けをしました。ときおり足早に教員が通りすぎて階段を下りていきました。来る日も来る日も、おなじ場所を、おなじ手順で、無心にみがきました。
たいてい同じ頃あいにO先生が通りました。O先生は一年生のときの担任でした。色白の尖った顔に眼鏡をかけた理科の先生です。理系特有のするどい雰囲気が苦手で馴染めなかったけれど、授業の進捗に余裕ができるとよく脱線して面白い話をしてくれました。学校行事には生徒以上に熱くなる人でもありました。担任だったときも、その後も、O先生と言葉をかわしたことはほとんどありません。
あるとき、いつものように私が床を這っていると、いつものようにO先生もせかせかと通りすぎました。ところがその日は、O先生の声が「□□」と私の名前を呼んだのです。私が顔を上げると、先生は「いつもがんばっててえらい」と言ってニヤリと笑い、階段をすべるように下りていきました。私はぽかんとしていました。
ひとりきりで他にやることがないというだけで、掃除にたいして私に殊勝な心掛けがあったわけではありません。先生に誤解を与えたようでかえって悪い気がしました。けれど時間が経つにつれてだんだんとO先生の心配りが身に沁みてくるようでした。
とはいえ、そのことでこれまで以上に張りきって掃除をした訳でもありません。その後も私は相も変わらず淡々と床を拭きました。O先生も足早に過ぎて黙って階段を下りていきました。
ただ、O先生のスリッパが視界の隅にうつると、あのするどい眼鏡がじぶんの背中へそそがれているような気がして、緊張と安心とが半分ずつ混ざった微妙な意識をもちました。
その後O先生に声をかけられることはありませんでした。
自分の努力が他人に知られないことを気にかけるよりも、他人の陰の努力へ目のとどく人間でありたいとおもっています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?